組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
「お前にまで名前を呼ばれんのが(こえ)ぇって思ってたのは、昔の話だ」
「……え?」
「今は……お前がそんな風に俺の名を呼ぶのを躊躇うのを見る方が(つれ)ぇって分かったわ。――だから……その、上手く処理できるかどうか分かんねぇけど……試しに呼んでみてくんねぇか? ……俺の、名前」
 京介の言葉に、芽生は心底驚いて、恐る恐る「……呼んでも、いいの?」と問い掛けていた。
 そんな芽生をじっと見下ろすと京介が芽生の左手をそっと握って、薬指に嵌められた指輪を撫でる。
「お前は……俺が《《自分で選んだ》》、家族にしてぇと思えた唯一の女だ。だから……むしろ呼んでみて欲しい」
 京介の、どこか懇願するような眼差しに、芽生はこくんと生唾を飲み込むと、震える声で恐る恐る、
「……京介」
 と初めて彼の名を呼んだ。
 その瞬間、京介が芽生を腕の中へグッと引き寄せて、「おう」と、どこか照れ臭そうな顔をして短く答えるから――。
 腕の中の芽生が京介の代わりみたいにポロポロと涙をこぼしてしまう。
「私ね、京ちゃんの〝相良(さがら)京介(きょうすけ)〟って名前、初めて見たときからかっこいい京ちゃんにぴったりの名前で大好きだって思ってたの。京ちゃんにこれほど似合う名前はないってずっとずっと思ってた! だからね、京介って呼ばせてもらえて……すっごくすっごく嬉しい! 有難う!」

 その言葉を聞きながら、京介は礼を言いたいのは俺の方だと思った――。


***


 本当は芽生(めい)にですら、〝京介〟と呼ばれることに嫌悪感を覚えてしまうのではないかと怖かった京介である。
 だが、長谷川と出かけて帰ってきてからこっち、芽生がいつものように自分のことを〝京ちゃん〟とすら呼んでくれないことを寂しく感じていることに気付かされて、ハッとした。

(俺は……芽生に名前を呼ばれるのが嫌いじゃねぇって、こと……か?)

 いや、嫌いじゃないというよりむしろ――。
 呼ばれないと考えると足元がぐらつくような危機感すら覚えてしまう。

 母親(クソ女)に呪いのように呼ばれ続けた〝京介〟という名前は、今までずっと〝自分のもの〟というより〝クソ女が愛した男〟の名であり、〝自分を捨てた父親〟の名だった。
 その名は単なる〝文字の羅列〟で、矮小(わいしょう)な自分を指す〝記号〟で、その〝響き〟で自分を呼んでくる人間は、実際には京介のことなんて見てくれていないと知っていた。

 だが、芽生が震える声音で真っすぐ自分を見つめながら「京介」と気遣うように、大切にその名を呼んでくれた瞬間、そんなのは杞憂に過ぎなかったのだと思い知らされた。

 そうして今更のように悟ったのだ。
 ずっと、芽生からそう呼ばれてみたかったということに――。

 芽生の口から「京介」と呼ばれた瞬間、今までは単なる文字の羅列で、呪いでしかないと思っていた自分の名前が、初めて〝自分のもの〟だと思えた。

 芽生に短く「おう」と答えながら、京介は初めて自分の名前が〝相良(さがら)京介(きょうすけ)〟なのだと認識した。


 京介は腕の中の芽生を、熱のこもった目で見詰めると、
「なぁ芽生(めい)。俺、いま無性にお前に俺の全てを知って欲しいって思っちまってる。――お前は……どうだ? 俺の全部を受け止めてくれるか? お前を……俺にみんなくれるか?」
 そう問わずにはいられなかった。

 そんな京介に、芽生が恥ずかしそうにコクッと頷くから、京介は芽生をグイッと横抱きに抱え上げた。


***


 芽生(めい)は、てっきり京介から『どっちの部屋がいい?』とか聞かれるかと思っていた。
 でも京介は最初から選択肢はひとつだったみたいに迷いなく自分の寝室へ芽生を運んだ。

「あ、あの……京ちゃん……?」

 京介に、壊れものでも扱うみたいにそっとベッドの上へ降ろされた芽生は、間接照明に照らされた薄暗い部屋でソワソワと幼い頃から憧れてきた大好きな男の顔を見上げた。
 京介の寝室へ入るのも、彼のベッドへ寝そべるのも初めてではない。初めてではないけれど、ただ添い寝を求めたあの日と、今日とでは違う。
 そのことを意識した芽生にとって、京介のにおいをふんだんに(はら)んだ彼の寝具はとても凶悪なものになった。ここにいるだけで京介の存在を強く意識し過ぎて心臓が口から飛び出してしまいそうになる。
 それで、芽生は違うことに意識を向けようと必死になった。
(きょ、京ちゃん、私の髪の毛を押さえつけないよう、気を付けてくれているのかなっ?)
 スーツのジャケットとベストを脱ぎ捨てて、片手で軽くネクタイを緩めた京介が、芽生の顔横へ両腕をついて見下ろしてくる。そんな京介を見上げながら気持ちを切り替えようと頑張った芽生だったけれど、ふと見た京介の胸元の男らしい色香にトクンッ! と心臓が跳ねて、結局は元の木阿弥(もくあみ)
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