組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
細波鳴矢は相良京介に牽制されてもちっとも懲りないみたいで、あの日以降も毎日のように芽生の職場――ファミリーレストラン『カムカム』へやって来た。
来るたびに必ず芽生を口説くことも忘れない細波に、同僚たちからは「お試しに一度だけ付き合ってあげたら?」と言われることが増えた。「付き合ってみれば、案外ウマが合うかも知れないじゃない」と。
まるでそのことを狙っているかのように、細波はファミレス内で芽生に言い寄る率が高くなってきて、芽生としては非常に迷惑なのだ。
「ね、芽生ちゃん、みんなからも言われてるでしょ? ホントお試しでいいからさ、僕と付き合ってみようよ! 今、誰か恋人がいるわけじゃないんでしょう?」
会計の際、わざわざ料金を差し出しながらそう言ってくる細波に、「あの……勤務時間中にこう言うのは本当困りますので」とお断りを入れながら、芽生はトレイをスッと細波の方へ押しやった。細波はそれを無視してギュッと芽生の手を握って裏返すと、丁寧に手のひらを広げてお金を握らせてくる。
その態度に心の中で『ヒッ』と悲鳴を上げながら、芽生は懸命に握られた手を引いた。
(絶対に細波さんのにおい、付いた!)
他の人が付けていたらここまで嫌悪感は湧かないのかも知れないが、〝細波のにおい〟としてインプットされてしまった強烈な《《異臭》》は、芽生をただただ不快にさせて。拒絶反応のせいか、鼻がムズムズしてクシュンッと小さくクシャミまで出て、芽生は心底イヤな気持ちになる。
「可愛いクシャミだね。ひょっとして芽生ちゃん、風邪ひいちゃった?」
細波にのほほんと聞かれて、芽生は(貴方のせい!)と心の中で文句を言いながら、「いえ、ちょっと鼻がムズムズしただけです」と答える。
そうしつつ、細心の注意を払いながらお釣りをカルトンに入れて細波の方へササッと差し出すと、速攻で手を引っ込めた。
(早く手、洗いたい!)
これ以上触られるのだけは、何としてもお断り申し上げたい。
***
仕事を終えて外へ出ると、辺りはすっかり黄昏時の様相を呈していた。
(まだ十七時をちょっと過ぎたばかりなのに)
ヒョオッと吹き抜けた風に、芽生はブルリと身体を震わせる。
(早く帰ろうっ)
近所のスーパーでアルミ鍋に入った鍋焼きうどんを買って、熱々に煮込んでフハフハしながら食べたら最高に幸せかも知れない。
本当は材料を買って一から調理したいところなのだけれど、それだと一人暮らしの芽生には却って高くついてしまう。
(誰か一緒に食べてくれる人がいたらいいのに)
〝誰か〟と言いながら、頭に思い浮かぶのはたった一人なのだけれど。
ギュッと上着の前を合わせながら歩く芽生が交差点に差し掛かったと同時。
「やぁ、やっと来たね。待ってたよ」
電柱の陰からヌッと出てきた人物に行く手を塞がれて、芽生は思わず悲鳴を上げた。
「ごめん、芽生ちゃん、驚かせちゃった?」
「さ、ざなみ……さん、何故ここに?」
その登場の仕方がストーカーチックで何だか怖い。
「話は歩きながらしよ?」
困惑する芽生の手を無遠慮にギュッと握ると、細波はニコニコしながら歩き出してしまう。
「あ、あのっ、細波さんっ」
その手を振り解こうと引っ張りながら芽生が呼び掛けると、細波が放すつもりはないよ? といわんばかりに手に力を込めてきて、芽生は痛みに顔をゆがめた。
「ほら、芽生ちゃん、今日レジでクシャミしてたじゃん? 風邪ひき掛けてるんだろうから、僕が車で家まで送ってあげようと思って」
「あ、あれは――」
(風邪なんかではなく、貴方のにおいが原因で……!)
そう思ったと同時、折悪しくビュウッと吹き付けてきた風が、細波のコロンの香りを芽生の鼻先まで運んできて。
「クシュッ」
またしてもクシャミが出てしまった。
「ほらね?」
鬼の首を取ったみたいに言われて、芽生の手を引きズンズン歩を進める細波の目指す先には、嫌味なくらいコテッコテに装飾を施したいかにも〝成金仕様車〟といった風情の《《金色》》のセダンが停まっていた。
『カムカム』の駐車場でもしょっちゅう見かける細波の愛車だ。
「あの色、ゴージャスで良いだろ? 元々は黒だったのを業者に《《命じて》》塗り替え《《させた》》んだ」
なんだか偉そうに聞こえるのは、きっと言い方のせいだろう。芽生なら『業者さんに《《頼んで》》塗り替えて《《もらった》》』と表現する。こういうところも、細波のことを好きになれない理由だ。
それに、芽生としては黒の方が何億倍もマシだと思えるのに、細波的にはゴールドにしていることが一種の自慢らしい。趣味が合わなさ過ぎるというのも、致命的ではないか。
(このままじゃ車内に引きこまれちゃう!)
センスの悪さもさることながら、そこへ押し込まれることを焦った芽生だったのだけれど。
近付いてみるとフロントガラスに『駐車違反』と書かれた黄色い紙が貼り付けられていて、細波が思わずといった調子で芽生の手を放して愛車に駆け寄った。
「ほんの数十分停めてただけじゃねぇか!」
(この寒い中、そんなに待たれていたの?)
約束をしているわけでも、ましてや恋人ですらない相手にそこまでするという事実に、芽生は恐怖しか感じなくて。
忌々し気に確認標章を剥がす細波を横目に、芽生はそろりそろりと後ずさりをして、一目散にその場を離れた。
「あっ。芽生ちゃん!」
細波が後ろで呼ぶ声がしたけれど、芽生は聞こえないふり。全速力で走って家へと逃げ帰った。
来るたびに必ず芽生を口説くことも忘れない細波に、同僚たちからは「お試しに一度だけ付き合ってあげたら?」と言われることが増えた。「付き合ってみれば、案外ウマが合うかも知れないじゃない」と。
まるでそのことを狙っているかのように、細波はファミレス内で芽生に言い寄る率が高くなってきて、芽生としては非常に迷惑なのだ。
「ね、芽生ちゃん、みんなからも言われてるでしょ? ホントお試しでいいからさ、僕と付き合ってみようよ! 今、誰か恋人がいるわけじゃないんでしょう?」
会計の際、わざわざ料金を差し出しながらそう言ってくる細波に、「あの……勤務時間中にこう言うのは本当困りますので」とお断りを入れながら、芽生はトレイをスッと細波の方へ押しやった。細波はそれを無視してギュッと芽生の手を握って裏返すと、丁寧に手のひらを広げてお金を握らせてくる。
その態度に心の中で『ヒッ』と悲鳴を上げながら、芽生は懸命に握られた手を引いた。
(絶対に細波さんのにおい、付いた!)
他の人が付けていたらここまで嫌悪感は湧かないのかも知れないが、〝細波のにおい〟としてインプットされてしまった強烈な《《異臭》》は、芽生をただただ不快にさせて。拒絶反応のせいか、鼻がムズムズしてクシュンッと小さくクシャミまで出て、芽生は心底イヤな気持ちになる。
「可愛いクシャミだね。ひょっとして芽生ちゃん、風邪ひいちゃった?」
細波にのほほんと聞かれて、芽生は(貴方のせい!)と心の中で文句を言いながら、「いえ、ちょっと鼻がムズムズしただけです」と答える。
そうしつつ、細心の注意を払いながらお釣りをカルトンに入れて細波の方へササッと差し出すと、速攻で手を引っ込めた。
(早く手、洗いたい!)
これ以上触られるのだけは、何としてもお断り申し上げたい。
***
仕事を終えて外へ出ると、辺りはすっかり黄昏時の様相を呈していた。
(まだ十七時をちょっと過ぎたばかりなのに)
ヒョオッと吹き抜けた風に、芽生はブルリと身体を震わせる。
(早く帰ろうっ)
近所のスーパーでアルミ鍋に入った鍋焼きうどんを買って、熱々に煮込んでフハフハしながら食べたら最高に幸せかも知れない。
本当は材料を買って一から調理したいところなのだけれど、それだと一人暮らしの芽生には却って高くついてしまう。
(誰か一緒に食べてくれる人がいたらいいのに)
〝誰か〟と言いながら、頭に思い浮かぶのはたった一人なのだけれど。
ギュッと上着の前を合わせながら歩く芽生が交差点に差し掛かったと同時。
「やぁ、やっと来たね。待ってたよ」
電柱の陰からヌッと出てきた人物に行く手を塞がれて、芽生は思わず悲鳴を上げた。
「ごめん、芽生ちゃん、驚かせちゃった?」
「さ、ざなみ……さん、何故ここに?」
その登場の仕方がストーカーチックで何だか怖い。
「話は歩きながらしよ?」
困惑する芽生の手を無遠慮にギュッと握ると、細波はニコニコしながら歩き出してしまう。
「あ、あのっ、細波さんっ」
その手を振り解こうと引っ張りながら芽生が呼び掛けると、細波が放すつもりはないよ? といわんばかりに手に力を込めてきて、芽生は痛みに顔をゆがめた。
「ほら、芽生ちゃん、今日レジでクシャミしてたじゃん? 風邪ひき掛けてるんだろうから、僕が車で家まで送ってあげようと思って」
「あ、あれは――」
(風邪なんかではなく、貴方のにおいが原因で……!)
そう思ったと同時、折悪しくビュウッと吹き付けてきた風が、細波のコロンの香りを芽生の鼻先まで運んできて。
「クシュッ」
またしてもクシャミが出てしまった。
「ほらね?」
鬼の首を取ったみたいに言われて、芽生の手を引きズンズン歩を進める細波の目指す先には、嫌味なくらいコテッコテに装飾を施したいかにも〝成金仕様車〟といった風情の《《金色》》のセダンが停まっていた。
『カムカム』の駐車場でもしょっちゅう見かける細波の愛車だ。
「あの色、ゴージャスで良いだろ? 元々は黒だったのを業者に《《命じて》》塗り替え《《させた》》んだ」
なんだか偉そうに聞こえるのは、きっと言い方のせいだろう。芽生なら『業者さんに《《頼んで》》塗り替えて《《もらった》》』と表現する。こういうところも、細波のことを好きになれない理由だ。
それに、芽生としては黒の方が何億倍もマシだと思えるのに、細波的にはゴールドにしていることが一種の自慢らしい。趣味が合わなさ過ぎるというのも、致命的ではないか。
(このままじゃ車内に引きこまれちゃう!)
センスの悪さもさることながら、そこへ押し込まれることを焦った芽生だったのだけれど。
近付いてみるとフロントガラスに『駐車違反』と書かれた黄色い紙が貼り付けられていて、細波が思わずといった調子で芽生の手を放して愛車に駆け寄った。
「ほんの数十分停めてただけじゃねぇか!」
(この寒い中、そんなに待たれていたの?)
約束をしているわけでも、ましてや恋人ですらない相手にそこまでするという事実に、芽生は恐怖しか感じなくて。
忌々し気に確認標章を剥がす細波を横目に、芽生はそろりそろりと後ずさりをして、一目散にその場を離れた。
「あっ。芽生ちゃん!」
細波が後ろで呼ぶ声がしたけれど、芽生は聞こえないふり。全速力で走って家へと逃げ帰った。