組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
 火事の処理でバタついている最中(さなか)ではあったけれど、ふと携帯を見た京介は思わず眉根を寄せた。
 さっき電話を掛けたときにはなかったのに、いつの間にきたんだろう。芽生(めい)から着信とメッセージが入っていた。
 着信時刻は、京介が家を出て三〇分も経たない内だったから、連絡があってから優に二〇分は過ぎてしまっている。

 芽生からの着信があるより前に佐山へ行ってくれるよう要請はしてあったが、タイミング的に考えてまだマンションへは着いていないだろう。
 京介は三井に目配せすると、ちょっとだけ現場から離れた。京介が顔を見せたことで下の者は一応に落ち着きを取り戻していたし、火事自体ほんの小火(ぼや)で、事務所が入ったビル付近に置かれたゴミと一緒に一階のテナントが少し焼け焦げただけで、上の階にある事務所の方は問題なく使えそうだった。少しぐらい電話を掛けても問題はないだろう。

 着信履歴から芽生に折り返した京介は、結構コールしても出ない芽生に、動物病院で猫を診察してもらっている最中だろうか? と思った。
 一旦切って、芽生の位置情報を確認しようかと考えた矢先、出た。
「芽生、お前……」
 ――また勝手に動いたのか?
 事情が事情だし、京介自身芽生からの電話にすぐ応じられなかった手前、そんなに酷く怒るつもりはない。だが一応危機感は持って欲しくて低めた声音で続けようとしたら、何やら様子がおかしい。
 ガサガサと言う音に混ざって聞こえてくるのは、男の声だ。
(……細波(さざなみ)?)
 聞き覚えのある厭味(いやみ)ったらしい喋り方に、眉間(みけん)にしわが寄る。
 京介は通話を切らないままマイクを切ってスピーカーモードに切り替えると、会話を録音しつつ位置情報アプリを立ち上げた。
(ここ……)
 【ホテル・ロイヤルキャッスル】と地図上に出ているそれは、確かラブホテルだったはずだ。
 それを裏付けるように雑音に混ざって芽生がラブホであることを確認する声に続いて、自動音声と(おぼ)しきアナウンスが流れてきた。
 それが聴こえてきたということは部屋に入ったということだ。
(あのバカ!)
 会話の内容から、どうやら弱っている猫を(たて)に取られていることは分かったが、芽生の安全を第一に考える京介としては、どうしても細波の言うがまま個室へ入ってしまった芽生を苦々しく思わずにはいられない。
 不幸中の幸いなのは、細波がすぐに芽生をどうこうするつもりはないと言っていることだ。クソ男の目的は、あくまでも芽生に書類を書かせて、どこかへ提出することらしい。
(何の書類だ)
 ふとそこまで考えたところで、三井が恐る恐る「カシラ」と声を掛けてくる。
 三井が、皆から離れて行動している自分の元へわざわざ声を掛けにくるということは、それ相応の用件ということだ。
 京介は芽生を心配する感情をグッと押さえると、三井に向き合う。
「千崎さんが、至急カシラにって。わたしにはよく分からないんですが……狙われてるのは《《神田さん自身》》かも知れないからって……。その理由を説明したいそうです」
 言いながら繋がったままの携帯を寄越してきた三井に、京介は「俺が千崎と話してる間、こっちの電話の内容を聞き漏らすな」と自分の携帯を手渡して、千崎からの電話に応答した。

『カシラ、一連の放火犯が分かったんですがね、どうやら……』
 千崎の説明に、京介は携帯を握る手にグッと力を込めた。


***


芽生(めい)ちゃんに書いてもらいたいのはこれだよ」
 部屋に入るなり、細波(さざなみ)(ふところ)から折り畳まれた紙片を取り出した。
 小豆色の味気ない線描で印字された紙片には左上に【婚姻届】と書かれていて、『妻になる人』以外の欄は、それこそ証人欄二名に至るまで全て埋め尽くされていた。
「はい、どうぞ」
 当然のようにボールペンと〝神田(かんだ)〟の印鑑を渡された芽生は、意味が分からなくて細波を見つめる。
「芽生ちゃんがそれ、埋めてくれたらすぐそこの役所へ出しに行くからね」
「でも……」
 芽生は知らないが、このホテルは繁華街を挟んだ形、車で五分と掛からず市役所へ行ける場所にある。お酒を呑んで、そのまま徒歩で入室……という人たちを取り込むことも見込んだ立地なんだろう。
「細波さんが私と結婚するメリットが分かりません」
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