組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
 芽生は孤児だ。遠縁とはいえ、大企業の社長様の血縁者である細波が選ぶ相手ではない。好きだと何度も言われたけれど、芽生の感覚ではそんな相手にこんな酷い真似はしないから、それも理由とは思えなかった。
 そんなことを考えながらオロオロと細波を見上げたら、「僕が芽衣ちゃんのことを好きだっていうのはまるっきり信じてないんだね? やっぱり気持ちのない言葉は響かないかぁ」と吐息を落として、「ま、ホントの理由は役所に書類を出した後で教えてあげるよ。《《不本意ではあるけれど》》僕には君が必要なんだ」と、心底嫌そうな顔をする。
「……不本意なら」
 ――わざわざ無理する必要なんてないのに。
 芽生がそう続けようとしたら、細波が苛ついたように舌打ちを落とした。

「聞こえなかった? 不本意だけど仕方ないんだよ! こうしなきゃ僕が立場的にマズくなっちゃうんだから!」
 感情的にそこまで言って、細波はハッとしたように不自然なまでににこやかに微笑むと、殿様が入った袋を芽生に向けて揺すってみせる。
「ねぇ芽生ちゃん。無駄話してたら(コレ)、死んじゃうんじゃない?」
 酷く扱われたからだろうか。紙袋の中から「ニィ」とか細い声が聴こえて、芽生はそれが殿様の助けを呼ぶ声に聞こえた。
「分かったからやめて!」
 芽生は子供の頃からずっと、京介との結婚に憧れていた。京介にいつかお嫁さんにして欲しいとお願いしたこともある。京介は『どうしても貰い手がなかったらな』と笑ってくれた。その場しのぎの優しさだと分かっていても、芽生はその日を夢見ていたのだ。でも、それも叶わなくなってしまうんだろうか。
 そう思いながら、涙に滲む目を懸命に凝らして空欄を埋めていく。
 陽だまりを出た時、『私が三十歳まで独身だったら約束通りお嫁さんにしてね?』とこの書類を書いて京介に渡したことがある。
 だから書き方は知っているけれど、細波に自分のことを知られるのが嫌で本籍地の所で手を止めたら、児童養護施設『陽だまり』の住所を渡された。
「君は新生児の頃にそこへ捨てられてたらしいから本籍地はそこだよ」
 細波は何故か芽生のことにやたら詳しくて、当然のようにそう言ってくる。
「ちなみに君の苗字は拾われた場所の近くの神田神社から付けられてる。芽生って名前も含めて名付け親は当時の市長だ」
 出生情報が何も分からない孤児の場合、保護された場所が本籍地となって、その子が筆頭者になった戸籍が作られる。大抵その場所にちなんだ苗字が当てられ、下の名前も含め、名付けは市区町村の長がする。芽生の場合はそれが当時の市長だった。
 そのことは施設を出る際、『陽だまり』の施設長から聞かされて知っていた芽生だけれど、何故細波が知っているんだろう?
 大好きな京介には【婚姻届】を預けた際、芽生からそういう事情を全て話したことがある。だけど京介も陽だまりの職員たちも皆、そういうことを他者に漏らす人間ではないから、そこから漏れたとは考えにくかった。

「ほら、手が止まってるよ?」
 言われて芽生は一旦思考を停止すると、細波が指示するままに「妻になる人」の欄を埋めていった。父母の名前の欄は不明なため戸籍上でも空欄だ。ペンを手にしたまま止まった芽生に、細波が「そこは《《まぁ》》……書かなくて大丈夫だよ」と言ってくる。
(まぁ?)
 何だかその言い方に含みを感じてしまった芽生だけれど、朱肉を渡されて印を突くなり、細波がサッと書類を取り上げるから、そのことがポンと頭から飛んでしまった。
 全て不備なく埋め尽くされた書類は、役所で受理されてしまえば、芽生は細波と夫婦になってしまう。
(そんなのイヤッ!)
 そう思ったけれど、
「じゃ、行こうか」
 満足げに細波が書類を(ふところ)に仕舞いながら、殿様をわざとらしくゆさゆさ揺さぶるのを見て、芽生は(うなず)くしかなかった。

(細波さん、なんで私とそんなに結婚したいの?)

 この婚姻によって、細波に何のメリットがあるというのだろう?
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