組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
23.ふたつの婚姻届
「京ちゃん、ここ」
問うまでもなく、ここは芽生が満十八歳になるまで過ごした場所――児童養護施設『陽だまり』――近くの駐車場である。
「カシラ!」
聞き慣れた声にそちらを見遣れば、馴染みのミニバンを背に、佐山が立っていた。
いつもの癖。つい「ブンブン!」と呼びかけようとして、即座に京介から睨まれた芽生は、「さ、やまさん」とぎこちなく言い直す。そんな芽生に佐山はチラリと視線を投げかけると、「姐……神田さん、猫、どうでしたか?」と心配そうに問うてきた。
芽生は佐山に、殿様を入院させてきたと告げると、助けに来てくれたこと、病院へ車を走らせてくれたことに改めて謝辞を述べる。
もちろん入院させたから安泰というわけではないけれど、「とりあえず一安心っすね」と佐山に吐息を落とされた芽生は、それだけで張り詰めていた緊張の糸がほぐれた。
みしょう動物病院でも感じたけれど、やはり細波の対応が異常だったのだと思えたことが純粋に嬉しかった。命に代えがあるだなんて、芽生は絶対に思いたくない。
「ところで京ちゃん、なんでここに……?」
京介はここで佐山と落ち合うために待ち合わせていたのだろうか? でも……だとしたらみしょう動物病院の前であのまま待っていてもらっていた方が良かったんじゃないだろうか?
京介と佐山を交互に見て小首を傾げた芽生に、京介が「あの男は?」と冷ややかな声音を放つ。
「そこへ」
佐山の声に視線を転じればミニバンのスモークガラス越し、細波と思しき人影が見えた。
はっきり見えるわけではないのに、そこに細波がいると思うだけで、芽生はギュッと身体に変な力が入るのを感じてしまう。
すぐさま芽生の変化に気付いた京介が「俺たちがついてる。大丈夫だ」と手を握ってくれた。
そうしておいて、京介が「なぁ芽生。お前はまだ俺と……」と言葉を濁らせてじっと芽生を見下ろしてくるから、芽生は大好きな男から視線が外せない。
「……?」
しばし見つめ合っていたら、その膠着状態を壊したいみたいに京介が懐から古めかしい封筒を取り出すのだ。
何となく既視感があるその封筒に、芽生が京介の手元をじっと見つめたら、京介が中から折り畳まれた紙片を引き抜いて芽生に差し出してきた。
「京ちゃん、これ……」
「お前が俺に預けてた婚姻届だ。――なぁ芽生。お前、まだ……これを俺と出してぇと思ってるか?」
京介がそれを未だに持っていてくれたことも、また今それを芽生の前で広げてそんな問いかけをしてくれたことも、芽生には何だか夢のように感じられた。
でも、
「出したい! 出したいに決まってる!」
これだけは、どんな状況だって変わらない事実だ。
***
芽生の返答を確認するなり京介は一度だけ頷いてから小さく吐息を落とすと、半ば無意識なんだろう。煙草を咥えて火をつけた。
京介がなにか心に負荷が掛かった時に煙草を吸うことを知っている佐山は、そんな京介を見てほんの少し緊張する。
「なぁ佐山。アイツから奪ったヤツは……」
「ここに」
ソワソワする芽生の目の前。佐山が京介へ血を拭ってぐしゃぐしゃになった紙片を渡すと、京介がそれを手にしたままミニバンの後部ドアを開けた。
「……っ!」
そうして見えた車内の様子に、芽生が息を呑んだのが見えた。
***
細波は口に猿轡を噛まされていて、モゴモゴトくぐもった声しか出せなくされていた。手も拘束されているのか、シートベルトは掛かっているけれど、不自然に両手が背中の方へ回ったまま。額に傷でも負ったのか、乾いた血が眉間の辺りまで流れてこびりついているのも、その際に打ち付けたのか顔全体がどことなく腫れぼったく見えるのも、芽生にはなんとも痛ましく思えた。
芽生は、いつも澄ました雰囲気で身綺麗にしている細波とは思えないその姿に、顔色一つ変えない京介の名を呼ばずにはいられなかった。
「京ちゃん……」
ギュッと京介の腕を掴んで瞳を揺らせたら、「すまねぇな。お前にゃちぃーと刺激が強いが、俺の陰に隠れてやり過ごしてくれ」と京介に謝られてしまう。
佐山に助けを求めて視線を投げかけても、静かに頷かれるだけで、芽生は今更のようにこれが京介や佐山にとっては〝日常のこと〟なのだと思い知らされた。
もちろん、罪もない殿様にされた悪行の数々を思うと、細波を懲らしめてやりたいという気持ちは芽生にだってある。
あるのだけれど――。
問うまでもなく、ここは芽生が満十八歳になるまで過ごした場所――児童養護施設『陽だまり』――近くの駐車場である。
「カシラ!」
聞き慣れた声にそちらを見遣れば、馴染みのミニバンを背に、佐山が立っていた。
いつもの癖。つい「ブンブン!」と呼びかけようとして、即座に京介から睨まれた芽生は、「さ、やまさん」とぎこちなく言い直す。そんな芽生に佐山はチラリと視線を投げかけると、「姐……神田さん、猫、どうでしたか?」と心配そうに問うてきた。
芽生は佐山に、殿様を入院させてきたと告げると、助けに来てくれたこと、病院へ車を走らせてくれたことに改めて謝辞を述べる。
もちろん入院させたから安泰というわけではないけれど、「とりあえず一安心っすね」と佐山に吐息を落とされた芽生は、それだけで張り詰めていた緊張の糸がほぐれた。
みしょう動物病院でも感じたけれど、やはり細波の対応が異常だったのだと思えたことが純粋に嬉しかった。命に代えがあるだなんて、芽生は絶対に思いたくない。
「ところで京ちゃん、なんでここに……?」
京介はここで佐山と落ち合うために待ち合わせていたのだろうか? でも……だとしたらみしょう動物病院の前であのまま待っていてもらっていた方が良かったんじゃないだろうか?
京介と佐山を交互に見て小首を傾げた芽生に、京介が「あの男は?」と冷ややかな声音を放つ。
「そこへ」
佐山の声に視線を転じればミニバンのスモークガラス越し、細波と思しき人影が見えた。
はっきり見えるわけではないのに、そこに細波がいると思うだけで、芽生はギュッと身体に変な力が入るのを感じてしまう。
すぐさま芽生の変化に気付いた京介が「俺たちがついてる。大丈夫だ」と手を握ってくれた。
そうしておいて、京介が「なぁ芽生。お前はまだ俺と……」と言葉を濁らせてじっと芽生を見下ろしてくるから、芽生は大好きな男から視線が外せない。
「……?」
しばし見つめ合っていたら、その膠着状態を壊したいみたいに京介が懐から古めかしい封筒を取り出すのだ。
何となく既視感があるその封筒に、芽生が京介の手元をじっと見つめたら、京介が中から折り畳まれた紙片を引き抜いて芽生に差し出してきた。
「京ちゃん、これ……」
「お前が俺に預けてた婚姻届だ。――なぁ芽生。お前、まだ……これを俺と出してぇと思ってるか?」
京介がそれを未だに持っていてくれたことも、また今それを芽生の前で広げてそんな問いかけをしてくれたことも、芽生には何だか夢のように感じられた。
でも、
「出したい! 出したいに決まってる!」
これだけは、どんな状況だって変わらない事実だ。
***
芽生の返答を確認するなり京介は一度だけ頷いてから小さく吐息を落とすと、半ば無意識なんだろう。煙草を咥えて火をつけた。
京介がなにか心に負荷が掛かった時に煙草を吸うことを知っている佐山は、そんな京介を見てほんの少し緊張する。
「なぁ佐山。アイツから奪ったヤツは……」
「ここに」
ソワソワする芽生の目の前。佐山が京介へ血を拭ってぐしゃぐしゃになった紙片を渡すと、京介がそれを手にしたままミニバンの後部ドアを開けた。
「……っ!」
そうして見えた車内の様子に、芽生が息を呑んだのが見えた。
***
細波は口に猿轡を噛まされていて、モゴモゴトくぐもった声しか出せなくされていた。手も拘束されているのか、シートベルトは掛かっているけれど、不自然に両手が背中の方へ回ったまま。額に傷でも負ったのか、乾いた血が眉間の辺りまで流れてこびりついているのも、その際に打ち付けたのか顔全体がどことなく腫れぼったく見えるのも、芽生にはなんとも痛ましく思えた。
芽生は、いつも澄ました雰囲気で身綺麗にしている細波とは思えないその姿に、顔色一つ変えない京介の名を呼ばずにはいられなかった。
「京ちゃん……」
ギュッと京介の腕を掴んで瞳を揺らせたら、「すまねぇな。お前にゃちぃーと刺激が強いが、俺の陰に隠れてやり過ごしてくれ」と京介に謝られてしまう。
佐山に助けを求めて視線を投げかけても、静かに頷かれるだけで、芽生は今更のようにこれが京介や佐山にとっては〝日常のこと〟なのだと思い知らされた。
もちろん、罪もない殿様にされた悪行の数々を思うと、細波を懲らしめてやりたいという気持ちは芽生にだってある。
あるのだけれど――。