組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
 閉じたまま開けられない(まぶた)の隙間を縫うように、涙がぽろりと芽生の(まなじり)から、こめかみの方へと静かに流れた。

 ――このままにしておいたら涙が通ったところカピカピになっちゃう。

 そう思うのに、指の一本ですら動かすのが億劫(おっくうう)で、芽生は目も開けられないまま、涙が枕を濡らすのを待つ。
 頭の下に敷かれた氷枕は、いつの間にかすっかり温もってしまっていたらしい。ただチャプチャプと水音を立てるだけの役立たずになっていた。

 ――京ちゃん、早く戻ってきて?

 そう声なき声でつぶやいたと同時、不意に冷たい感触がスッと目元に触れてきて、芽生は気合を総動員して目を開ける。
「京、ちゃ……」
 言って、ベッドサイドへ戻って来てくれた京介の方を見遣ったら、額から布がずり落ちた。
 ここに横たわってすぐ、京介が頭に載せてくれた濡れタオルは、あれから幾度となく京介が洗っては冷たさを取り戻させて芽生の額へ戻してくれていたけれど、ハッキリ言ってイタチごっこだった。
 芽生の熱を吸って熱くなっているそれを手に取ると、京介が「しんどそうだな」と眉根を寄せる。
「熱さまし、飲むか?」
 問われてコクッと(うなず)いたら、京介に身体をそっと起こされた。
 そうして差し出されたグラスと解熱鎮痛剤を見て、芽生は(あらかじめ用意してくれていたのかな?)とぼんやり思う。
 水はひんやり冷えていたから、(京ちゃん、ここへ戻ってくるときにウォーターサーバーから注いで来てくれたのかな?)とどうでもいいことを考えた。

 病院でインフルエンザAと診断されてすぐ、院内で吸入タイプの抗ウイルス薬を吸わされた。
 その時点で熱は三十八度を超えてはいたけれど、それほどしんどくなかったから「飲んどいた方がいいんじゃねぇか?」と京介が勧めてくれたのに、芽生はフルフルと首を横に振って解熱鎮痛剤を飲まなかった。
 もともと芽生は薬をあまり飲むタイプではなかったから、しんどくないのに飲んではいけないと思ってしまったのだ。
 そのことを今更後悔しても遅いけれど、飲んだばかりの薬が少しでも早く効果を発揮してくれるといいなと願わずにはいられない。
「ありがとう」
 冷たい水が熱い身体に心地よくて、グラスの半ばまで水を飲んでから京介にグラスを手渡したら、
「いま石矢が届けてくれた」
 それを受け取ってサイドボード上へ避けてから、額に冷却ジェルシートを貼り付けてくれる。

 ――冷たくて気持ちいい……。

 そう思って瞳を細めた芽生を満足そうに眺めると、京介はそのついでみたいに「氷枕(まくら)(ぬる)くなってんだろ?」と問い掛けてきた。
「すぐ戻るから大人しく寝そべってろ」
 言うなり氷枕を取り上げられて、ゆっくり身体を横たえさせられた芽生は、また一人ぼっちにされてしまう。
「京ちゃ……」
 咄嗟(とっさ)に嫌だと思ってしまって、力なく京介の名を呼んで手を伸ばした芽生の気持ちを考慮してくれたんだろうか?
 さっきとは違って、ドアをあけ放ったままの状態で京介が寝室を出て行った。死角になっていて目で追うことは叶わなかったけれど、氷を取り出しているんだろうガサガサという音などが聞こえてくるのが、芽生にはせめてもの救いだった。


***


 そっと頭を持ち上げられて、カラカラと音のする冷たい氷枕の上に頭を下ろされた芽生(めい)は、自分が京介の立てる音に聞き耳を立てている内にトロトロと眠りかけていたんだと気が付いた。
「京ちゃん……」
 薄っすら目を開けて京介を見上げたら「眠れそうなら寝ろ」と(まぶた)の上にやんわりと手を乗せられる。

 解熱鎮痛剤が効き始めたんだろうか。

 ピーク時より少し身体が楽になって来て、芽生はコクッと小さく首肯(しゅこう)すると、素直に目を閉じた。
 せっかく京介が傍にいてくれるのに眠ってしまうのはもったいない気がしたけれど、それよりも今は一分一秒でも早く回復して、年末年始のたくさんの行事を京介とともに楽しめるようにしたいと思った。
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