組長さんと年下彼女~今日から同棲始めます~
34.それは恋人の呼び名じゃない
目を覚ますと、薄暗い部屋の中、芽生は一人ぼっちだった。
「京、ちゃ……」
体調不良な上に寝起きなことも手伝って、京介の名を呼ぶ声は弱々しく掠れていた。応答がないのは声が小さすぎたのか、聞こえないくらい離れた場所に彼がいるからか、どちらだろう?
ふと足元に視線を転じると、寝室の扉が薄く開いていて、あちら側からの光が差し込んでいた。
(京ちゃん、リビング?)
解熱鎮痛剤のお陰で痛みなどから解放されたからだろう。薬を飲んですぐ、芽生はしんどいのに眠れなかったのを取り戻すみたいに意識を手放した。
あれからどのくらい時間が経ったのか分からない。一時間? 二時間? それとももっと――?
芽生が眠ったのを確認した京介が、束の間自分の傍を離れたからといって、一体誰が彼を責められるだろうか。
頭ではそう分かっているのに、寂しさと心細さがそれを許してくれない。
(京ちゃんのバカ。ずっとそばにいてくれるって言ったのに……)
そんなことを思ってしまって、芽生は自分の考えにハッとした。
(私、なんてイヤなやつなの)
熱で意識が朦朧としている間、京介がずっと自分の横にいてくれたのは明白な事実だ。なのに――。
涙目になりながら己の心の狭さに打ちひしがれていたら、光の筋が大きくなって、京介が寝室へ戻ってきた。
「起きたのか?」
汗で額に張り付いた髪の毛を優しく払いのけてくれながら、京介に柔らかく微笑みかけられた芽生は、我慢出来なくなってほろりと涙を決壊させる。
京介から濃い煙草の香りがふわりと漂ってきて、(京ちゃん、煙草を吸いに行ってたのかな?)と思ったら、自分のためにそういうのも我慢させていたんだと気が付いて、キュッと胸が痛くなった。
「おい、どうした? しんどいのか!?」
途端京介が心底心配そうな表情をして芽生の体調を気遣ってくれるから……芽生はフルフルと首を横に振る。頭を動かすとくらりと目眩がして、頭が痛んだけれど、今はそんなのどうだっていい。
「違う、の。京ちゃんが私のために色々と優しくしてくれるのが嬉しくて……。なのに私、目が覚めた時ひとりぼっちだったの、が寂しくて……京ちゃんのバカって思っちゃったの」
頬へ伸びてきた京介の手にそっと触れて眉根を寄せたら、「バーカ。だからって泣くこたねぇだろ」と笑いながら芽生をヨシヨシしてくれる。
だが、そうしながら、何故か京介は不意に申し訳なさそうな顔をするのだ。
その表情に違和感を感じた芽生が、「京ちゃん?」と彼の名を呼んだら、京介がベッドサイドに跪くようにして、芽生に視線を合わせてきた。
「芽生、悪い。実はな――」
***
佐山文至が細波鳴矢に汚された後部シートへ掛けられたシートカバーを引っぺがしていたら、相良京介から電話が掛かってきた。
先日芽生と弱った子猫を連れて行った、『みしょう動物病院』へ、猫を引き取りに行って欲しいという依頼だった。
「身体を休めろって言ったくせに、こんなこと頼んですまねぇな」
昨日倉庫にいた面々はすべからく徹夜明け。そのメンバーには最低でも半日は家でゆっくり休むように京介からお達しがあった。佐山もその一人である。
「いや、それは構わないんですが……あの、カシラ。その任務は姐さ……、神田さんをご自宅へ迎えに行ってから一緒に行く方がいいって話っすか?」
神田芽生と、自分の属する組織の組長である相良京介の関係がぐんと進展したというのは、石矢経由で聞いている。だが、正式にカシラから発表があったわけではないので、〝姐さん〟呼びはまだ早い。そう判断して〝神田さん〟と無難な呼び名を選択した佐山だ。
汚れたシートカバーは剥がしたものの、あの男が盛大にお漏らししてくれたから、まだ若干ニオイが残っている。そんな車にカシラの大事な女を乗せるのはどうだろう? と考えてから、市役所に細波が借りていたレンタカーがそのまま置き去りになっていたのをふと思い出した佐山は、いざとなったらあれを使わせてもらうのもありか……と思いを巡らせた。
移動中、車内でこらえ切れず《《ダムを決壊》》させて悲惨な状態になった細波鳴矢を、『さかえグループ』本社前に放置したのは半日以上前のことだ。
京介からは仕事が済み次第、家に帰って休息するよう言われていたけれど、さすがに車がヤバいことになったのでそのままにする気になれず、後処理だけは……と思って動いていたところに、わざわざ謝罪まじり。カシラ自身から電話が掛かってきた。
佐山に負担を掛けることを「すまねぇ」と前置きしたうえでもう一仕事して欲しいと希われたということは、恐らくカシラが葛西組から呼ばれて、猫の退院に付き添えなくなったということだろう。
そう判断して神田さんも一緒の方がいいかと問い掛けてみたものの、電話口から盛大な溜め息が聞こえてきて、佐山はすぐさま失言だったと後悔した。
攫われた神田芽生を助けに行ったときは不可抗力だったとして、彼女と自分が二人きりになるのはカシラ的にまだ納得のいかない部分があるのかも知れない。
「京、ちゃ……」
体調不良な上に寝起きなことも手伝って、京介の名を呼ぶ声は弱々しく掠れていた。応答がないのは声が小さすぎたのか、聞こえないくらい離れた場所に彼がいるからか、どちらだろう?
ふと足元に視線を転じると、寝室の扉が薄く開いていて、あちら側からの光が差し込んでいた。
(京ちゃん、リビング?)
解熱鎮痛剤のお陰で痛みなどから解放されたからだろう。薬を飲んですぐ、芽生はしんどいのに眠れなかったのを取り戻すみたいに意識を手放した。
あれからどのくらい時間が経ったのか分からない。一時間? 二時間? それとももっと――?
芽生が眠ったのを確認した京介が、束の間自分の傍を離れたからといって、一体誰が彼を責められるだろうか。
頭ではそう分かっているのに、寂しさと心細さがそれを許してくれない。
(京ちゃんのバカ。ずっとそばにいてくれるって言ったのに……)
そんなことを思ってしまって、芽生は自分の考えにハッとした。
(私、なんてイヤなやつなの)
熱で意識が朦朧としている間、京介がずっと自分の横にいてくれたのは明白な事実だ。なのに――。
涙目になりながら己の心の狭さに打ちひしがれていたら、光の筋が大きくなって、京介が寝室へ戻ってきた。
「起きたのか?」
汗で額に張り付いた髪の毛を優しく払いのけてくれながら、京介に柔らかく微笑みかけられた芽生は、我慢出来なくなってほろりと涙を決壊させる。
京介から濃い煙草の香りがふわりと漂ってきて、(京ちゃん、煙草を吸いに行ってたのかな?)と思ったら、自分のためにそういうのも我慢させていたんだと気が付いて、キュッと胸が痛くなった。
「おい、どうした? しんどいのか!?」
途端京介が心底心配そうな表情をして芽生の体調を気遣ってくれるから……芽生はフルフルと首を横に振る。頭を動かすとくらりと目眩がして、頭が痛んだけれど、今はそんなのどうだっていい。
「違う、の。京ちゃんが私のために色々と優しくしてくれるのが嬉しくて……。なのに私、目が覚めた時ひとりぼっちだったの、が寂しくて……京ちゃんのバカって思っちゃったの」
頬へ伸びてきた京介の手にそっと触れて眉根を寄せたら、「バーカ。だからって泣くこたねぇだろ」と笑いながら芽生をヨシヨシしてくれる。
だが、そうしながら、何故か京介は不意に申し訳なさそうな顔をするのだ。
その表情に違和感を感じた芽生が、「京ちゃん?」と彼の名を呼んだら、京介がベッドサイドに跪くようにして、芽生に視線を合わせてきた。
「芽生、悪い。実はな――」
***
佐山文至が細波鳴矢に汚された後部シートへ掛けられたシートカバーを引っぺがしていたら、相良京介から電話が掛かってきた。
先日芽生と弱った子猫を連れて行った、『みしょう動物病院』へ、猫を引き取りに行って欲しいという依頼だった。
「身体を休めろって言ったくせに、こんなこと頼んですまねぇな」
昨日倉庫にいた面々はすべからく徹夜明け。そのメンバーには最低でも半日は家でゆっくり休むように京介からお達しがあった。佐山もその一人である。
「いや、それは構わないんですが……あの、カシラ。その任務は姐さ……、神田さんをご自宅へ迎えに行ってから一緒に行く方がいいって話っすか?」
神田芽生と、自分の属する組織の組長である相良京介の関係がぐんと進展したというのは、石矢経由で聞いている。だが、正式にカシラから発表があったわけではないので、〝姐さん〟呼びはまだ早い。そう判断して〝神田さん〟と無難な呼び名を選択した佐山だ。
汚れたシートカバーは剥がしたものの、あの男が盛大にお漏らししてくれたから、まだ若干ニオイが残っている。そんな車にカシラの大事な女を乗せるのはどうだろう? と考えてから、市役所に細波が借りていたレンタカーがそのまま置き去りになっていたのをふと思い出した佐山は、いざとなったらあれを使わせてもらうのもありか……と思いを巡らせた。
移動中、車内でこらえ切れず《《ダムを決壊》》させて悲惨な状態になった細波鳴矢を、『さかえグループ』本社前に放置したのは半日以上前のことだ。
京介からは仕事が済み次第、家に帰って休息するよう言われていたけれど、さすがに車がヤバいことになったのでそのままにする気になれず、後処理だけは……と思って動いていたところに、わざわざ謝罪まじり。カシラ自身から電話が掛かってきた。
佐山に負担を掛けることを「すまねぇ」と前置きしたうえでもう一仕事して欲しいと希われたということは、恐らくカシラが葛西組から呼ばれて、猫の退院に付き添えなくなったということだろう。
そう判断して神田さんも一緒の方がいいかと問い掛けてみたものの、電話口から盛大な溜め息が聞こえてきて、佐山はすぐさま失言だったと後悔した。
攫われた神田芽生を助けに行ったときは不可抗力だったとして、彼女と自分が二人きりになるのはカシラ的にまだ納得のいかない部分があるのかも知れない。