年下社長と秘密のシングルマザー
2・年下社長と秘密の取引
「秘書!?」
社長の思いもよらない提案に、思わず大声を上げてしまった。
「俺の秘書になれば、時間の融通は利かせてあげられる。保育園の迎えにも行ける。急なお迎えも、俺に直接言えばいい」
高槻社長は、まるで当たり前のことを告げるように淡々としていた。
冷静に提案されているだけなのに、不思議と逃げ場がないような気持ちになる。
たしかに悪い話ではない。むしろ私にとっては救いのような条件だ。
だけど──企画部での仕事は嫌いじゃなかった。やっと掴んだ「居場所」であり、やりがいを感じていた。
「で、でも、私……」
口ごもる私に、高槻社長はすっと言葉を差し込む。
「今のままだと、お子さんを迎えに行けないけど、それでもいいのか?」
核心を突かれ、言葉が詰まる。
私は柚を守るために働いている。
なのに、その柚をないがしろにするなんて、ありえない。
「……わかりました。秘書、やります」
観念したように答えると、高槻社長は笑みを浮かべ満足そうにうなずいた。
「ありがとう。村瀬さん。もちろん、今後君が周りに言いやすくなるように、社内も変えていくつもりだ」
ほんのひと欠片だけ見せた微笑みに、なぜか胸が熱くなるのを感じてしまう。
話がまとまったところで、社長はスッと立ち上がりスーツの襟を正した。
「早速だが、俺に同行してもらおう」
「えっ? でも、保育園に迎えに行かないと……」
倒れてから、どれくらいの時間が経ったのだろう?
時計を見ると、すでに三十分ほど経っている。
会議はもう始まっているだろう。
柚も、保育園で今か今かと私の迎えを待っているに違いない。
仕事も、育児も、何もかも中途半端になってしまう自分が嫌になる。項垂れている場合ではないのはわかってる。だけど、社長に秘密を知られてしまい逆にほっと気が緩んだのか、弱い部分を見せてしまいそうになる。両手で顔を覆って考え込むフリをして、熱くなった目頭を押さえる。
「だから、俺の車で迎えに行くんだ」
「そんな、社長の手を煩わせるわけには」
「では、企画部の部長になんと説明する?」
「そ、それは……」
たしかに、子どもが熱を出したから早退──とは言えない。
言ってしまえば楽なのだろうが、またあの、チクチクと刺さるような視線を向けられるかと思うと……。
頭を抱える私をよそに、高槻社長はふっと得意げに笑った。
「企画部の部長には、すでに君を借りると説明してある。行こう」
有無を言わせぬ口調で立ち上がる。
その背中を見て、もはや抗えないと悟った。
社長の車を走らせ、保育園には十数分で着いた。
保育士さんに詫びを入れて、柚を連れて戻ってくると、社長が車の中で待っていてくれた。
「家まで送ろう」
「いえ、自転車があるので……」
自転車は、買い物などの移動にも必要だ。
置いていくと後々不便になる。
「熱があるのだろう、大丈夫か?」
「このまま小児科へ連れて行きます。ありがとうございました」
息子を抱きかかえたまま、ぺこりと頭を下げる。
「礼には及ばない。君は俺の秘書だから、俺に同行するのは当然のことだ」
「ただ──こういうことは今回限りにしてください」
「ん?」
「秘書はやらせていただきます。でも、これじゃあ公私混同です」
言った瞬間、社長はどう受け止めるだろう、と心臓が一つ波打った。
下手をすれば、「じゃあクビだ」と突き放されてもおかしくない。
けれど、これ以上特別扱いされるのも申し訳なかった。
高槻社長は、しばし思案するように視線を外し、やがてチラリとこちらを見て口を開く。
「──善処しよう」
それだけを言い残し、フロントガラスの方へ視線を向けた。
「……では、失礼します」
私はもう一度頭を下げ、社長と別れた。
駐輪場に向かう途中、熱で頬を赤くした柚が、眠そうな目で訊ねてきた。
「ママー、さっきのおじさん、だぁれ?」
(おじさん……)
社長は私より年下なのに。思わずクスッと笑ってしまう。
「あの人はね、ママの会社の社長さん。会社でいちばん偉い人なのよ」
「えらい人〜?」
「そう。だから、失礼のないように……えーっと、今度会った時は、ちゃんとご挨拶しようね」
「はーい」
柚の素直な返事に、微笑ましくなる。
けれど同時に、どこかざわつく思いも消えなかった。
振り返れば、まだ車のハザードランプが点滅している。
胸の奥に妙な熱を残しつつも、少しだけ、今日一日を乗り切れる気力も湧いてきた。
社長の思いもよらない提案に、思わず大声を上げてしまった。
「俺の秘書になれば、時間の融通は利かせてあげられる。保育園の迎えにも行ける。急なお迎えも、俺に直接言えばいい」
高槻社長は、まるで当たり前のことを告げるように淡々としていた。
冷静に提案されているだけなのに、不思議と逃げ場がないような気持ちになる。
たしかに悪い話ではない。むしろ私にとっては救いのような条件だ。
だけど──企画部での仕事は嫌いじゃなかった。やっと掴んだ「居場所」であり、やりがいを感じていた。
「で、でも、私……」
口ごもる私に、高槻社長はすっと言葉を差し込む。
「今のままだと、お子さんを迎えに行けないけど、それでもいいのか?」
核心を突かれ、言葉が詰まる。
私は柚を守るために働いている。
なのに、その柚をないがしろにするなんて、ありえない。
「……わかりました。秘書、やります」
観念したように答えると、高槻社長は笑みを浮かべ満足そうにうなずいた。
「ありがとう。村瀬さん。もちろん、今後君が周りに言いやすくなるように、社内も変えていくつもりだ」
ほんのひと欠片だけ見せた微笑みに、なぜか胸が熱くなるのを感じてしまう。
話がまとまったところで、社長はスッと立ち上がりスーツの襟を正した。
「早速だが、俺に同行してもらおう」
「えっ? でも、保育園に迎えに行かないと……」
倒れてから、どれくらいの時間が経ったのだろう?
時計を見ると、すでに三十分ほど経っている。
会議はもう始まっているだろう。
柚も、保育園で今か今かと私の迎えを待っているに違いない。
仕事も、育児も、何もかも中途半端になってしまう自分が嫌になる。項垂れている場合ではないのはわかってる。だけど、社長に秘密を知られてしまい逆にほっと気が緩んだのか、弱い部分を見せてしまいそうになる。両手で顔を覆って考え込むフリをして、熱くなった目頭を押さえる。
「だから、俺の車で迎えに行くんだ」
「そんな、社長の手を煩わせるわけには」
「では、企画部の部長になんと説明する?」
「そ、それは……」
たしかに、子どもが熱を出したから早退──とは言えない。
言ってしまえば楽なのだろうが、またあの、チクチクと刺さるような視線を向けられるかと思うと……。
頭を抱える私をよそに、高槻社長はふっと得意げに笑った。
「企画部の部長には、すでに君を借りると説明してある。行こう」
有無を言わせぬ口調で立ち上がる。
その背中を見て、もはや抗えないと悟った。
社長の車を走らせ、保育園には十数分で着いた。
保育士さんに詫びを入れて、柚を連れて戻ってくると、社長が車の中で待っていてくれた。
「家まで送ろう」
「いえ、自転車があるので……」
自転車は、買い物などの移動にも必要だ。
置いていくと後々不便になる。
「熱があるのだろう、大丈夫か?」
「このまま小児科へ連れて行きます。ありがとうございました」
息子を抱きかかえたまま、ぺこりと頭を下げる。
「礼には及ばない。君は俺の秘書だから、俺に同行するのは当然のことだ」
「ただ──こういうことは今回限りにしてください」
「ん?」
「秘書はやらせていただきます。でも、これじゃあ公私混同です」
言った瞬間、社長はどう受け止めるだろう、と心臓が一つ波打った。
下手をすれば、「じゃあクビだ」と突き放されてもおかしくない。
けれど、これ以上特別扱いされるのも申し訳なかった。
高槻社長は、しばし思案するように視線を外し、やがてチラリとこちらを見て口を開く。
「──善処しよう」
それだけを言い残し、フロントガラスの方へ視線を向けた。
「……では、失礼します」
私はもう一度頭を下げ、社長と別れた。
駐輪場に向かう途中、熱で頬を赤くした柚が、眠そうな目で訊ねてきた。
「ママー、さっきのおじさん、だぁれ?」
(おじさん……)
社長は私より年下なのに。思わずクスッと笑ってしまう。
「あの人はね、ママの会社の社長さん。会社でいちばん偉い人なのよ」
「えらい人〜?」
「そう。だから、失礼のないように……えーっと、今度会った時は、ちゃんとご挨拶しようね」
「はーい」
柚の素直な返事に、微笑ましくなる。
けれど同時に、どこかざわつく思いも消えなかった。
振り返れば、まだ車のハザードランプが点滅している。
胸の奥に妙な熱を残しつつも、少しだけ、今日一日を乗り切れる気力も湧いてきた。