甘く苦く君を思う

仕事を辞めるのは本当に辛い決断だった。
夢を持ってル・ソレイユで働き、風間さんのもとで修行していた。毎日朝から晩まで粉にまみれ、厳しい叱責もある中で技術を磨く日々だった。どんなに大変でも、その先にある未来のために努力してきた。それなのに事実とは異なる噂で私の居場所がなくなるなんて……受け入れがたかった｡でもこれ以上ここにいたら噂がエスカレートしてお店に迷惑をかけかねない。その頃の体調不良を理由に退職せざるを得なかった。
昴さんにこれ以上誤解されることも疑われるのも耐えがたかった。だからこそ私は逃げることに決めた。
自分の居場所を全て失った私がようやく得た安寧の地にまた彼が入ってきて私の精神的なバランスがまた崩れるのを感じる。
渚が自然と彼を求めるのもなぜか不安になる。
もしこの子の存在を彼の両親が知ってしまったどうなるのだろう。
またあの冷たい声で告げられるのだろうか。「身を引きなさい」と。
渚の未来まで彼らの意思に降り回されるのではないかと考えると背筋が凍る。だからこそ私は隠さなければならない。守らなければならない。
それなのに渚が彼に懐いていくのを見ると複雑な感情が渦巻く。彼の手に小さな指を絡め無邪気に笑う姿を見るたびに心が揺れる。
彼の優しさに触れたら私自身も揺らいでしまう。
「信じたい」という思いと、「もう2度と傷つきたくない」という恐れが胸の奥でせめぎ合う。
逃げるように距離をとっても渚の「会いたい」という言葉が私を引き止める。まるで未来への選択を迫られているようだ。