甘く苦く君を思う
あの体調を崩してから数日、ようやく保育園にも行けるようになり日常に戻ってきた。
あれから昴さんはお店に来ていない。
店のドアが開くたび、自然と目がいくようになってしまったが、幸子さんは何も言わない。
家に帰っても渚は彼のことを口にしなくなった。

「まま、どうぞ」

誕生日に買ってもらったキッチンセット料理をしている姿にホッとする。これが私の日常だと思うが、ふと渚の横顔を見るたびに彼の面影と重なって見える瞬間がある。
彼を忘れたい自分の中で、病院に付き添ってくれたり自宅に来た時の顔が頭の中から離れない。

夜、渚を寝かしつけ、カーテンを閉めようとした瞬間、街灯の下に人影が見えた。その容姿にドキッと胸が跳ねる。
息をのんで見つめていると、その影がこちらに気が付き立ち止まった。そしてゆっくりと顔を上げた。

「沙夜」

確かに良い聞こえたか声に心臓がドクンと大きく打った。
震える手でカーテンを開き直し窓を開けた。

「昴さん……」

お互いの視線が絡む。夜風が頬を撫で、張り詰めた沈黙が流れる。

「ごめん、最近忙しくて昼間お店に顔を出せないから……でもどうしているか気になって」

その言葉に胸の奥が熱くなる。家からここまでは決して近い距離でないはず。とはいえ彼の家がどこにあるのかも知らないので、本当に私は彼の何を知っていたのだろうかと苦笑してしまう。
彼はこっそり帰るつもりだったのかいつもの彼と違い、どこか情けなさそうな表情を浮かべていた。
彼がこうして心配して来てくれたことが少し嬉しかった。けれど同時に少し怖かった。
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