甘く苦く君を思う
翌日には昴さんは横田夫妻に改めて挨拶をしてくれた。彼の存在は知っていたし、薄々私たちの関係についても感じるものはあったはず。それなのに何も言わずにいてくれた。

「沙夜が辛い時、それに今までもずっと支えてくださりありがとうございました。不甲斐ない私のせいで彼女にどれだけの苦労をかけてきたかと反省しています。でもそんな時彼女を支えてくださったおふたりには感謝してもしきれません。本当にありがとうございました」

「沙夜ちゃんを今度こそ幸せにできるんだろうな」

ご主人に凄まれるが、彼は即座に「もちろんです」と返答する。

「私たちはふたりが幸せになってくれれば言うことはないの。こんなに苦労してきたんだもの。必ず幸せにしてあげてね」

何度となくふたりから繰り返される「幸せ」と言う言葉。
私はここにいて決して不幸に思ったことはない。むしろ恵まれているとさえ思っていた。それを拙い言葉ながら伝えると、幸子さんはほろりと涙をこぼしていた。

「ありがとう。私も沙夜ちゃんたちと過ごして大変だなんて思ったことはないのよ。少し早めにおばあちゃんにならせてもらえたし、私たちは幸せだった」

その言葉に私の涙腺は緩む。
苦楽を共にしてくれたふたりには本当に感謝以外の言葉が出てこない。

「沙夜はこのままここで働きたいと言っているんです。続けさせていただくことは可能でしょうか。彼女のキャリアを奪ってしまった私は彼女の仕事に口を出す権利はありません」

彼の名刺を見たふたりは私がここを辞めるつもりだと思っていたようだ。まさか高倉グループの後継者の妻がここで働き続けるとは想像していなかったのだろう。ふたりは驚いたように顔を見合わせていた。

「私たちのような小さなお店のパティシエールでいいのか? 今なら沙夜ちゃんもいいところで働けるんじゃないか?」

「私はここがいいんです。このみんなに愛されるお店で働き続けたいんです」

その言葉にご主人の頬が緩んだ。
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