呪われし復讐の王女は末永く幸せに闇堕ちします~毒花の王女は翳りに咲く~
 緊張か怯えが災いして、過呼吸を起こしかけているのだろう。しゃくり上げるような息を始めた様子に、さすがのベルティーナも見かねてしまった。

「落ち着きなさい。貴女、名前は?」

 ()くと、彼女は青ざめた唇を震わせながら「ハンナ」と名乗る。

「そう、ハンナ。無理に喋らなくて結構よ。頷くか首を振るかで答えてちょうだい。私はもうこの庭園に戻らないということでよろしくて?」

 淡々とベルティーナが()けば、彼女は幾度も首を縦に振る。

「荷造りは済んでいるわ。大した荷物でもないから荷物持ちもいらない。私が庭園の出口まで行くから戻りなさい。調子が悪いなら、他の使用人に伝えて代わってもらうことね」

 ──ここで倒れられても迷惑よ。
 ベルティーナはそう付け添えると、彼女は一つ会釈した後、逃げるようにその場を去った。

(まったく……)

 彼女の背を見送った後、ベルティーナは塔の中へ戻り、大きな鞄にまとめた荷物を持ち上げた。

 衣類などは向こうが用意するとのことだったので、その中には数冊の本と乾燥した薬草くらいしか入っていない。それでも何か持ち忘れたものはないか……と、もう一度部屋の中を見回すが、めぼしいものは特に見当たらなかった。

 だが、部屋の片隅に視線を向けた途端、ベルティーナは唇を歪めた。

 そこには、古ぼけた杖がある。勿論、これは自分のものではない。背の曲がった賢女がいつもついていたもので……。

 コツコツと音を立て、自分に向かって歩み寄ってくるその音を聞かなくなって、もう五年……。

 なかなか頑固な老婆ゆえに、気の強い娘に育ってしまったベルティーナは、幾度となく衝突したが、それでも自分にとっては唯一無二の存在だっただろうと思う。

 なにしろ、育ての親なのだから……。

 二人の間に物語で読む〝家族愛〟のような温かみがあったかどうかは分からない。
 会話だって多くはなかった。それでも、毎日美味しい料理を振る舞ってくれたことは確かだ。「子どもはたんと食べろ」と、空になった皿にスープをたっぷりとよそってくれたこと。「小賢しいくらいに聡い娘になれ」と薬草学を丁寧に教えてくれたこと。それら一つ一つを思い返す。

 ベルティーナは、賢女の杖の持ち手をそっと撫で、瞼を伏せる。

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