仮面フィアンセ〜憧れの外交官からの執着愛に今にも陥落しそうです
 「ほんの一杯でいいんです。ちょうど近くに、落ち着けるバーがあるんですよ」


 もしかしたら、つい先日、誌史から打ち明けられた失敗の件かもしれない。

 チラチラと投げかけられる周囲の目も気になって断りきれず、修吾は渋々その誘いに応じることにした。
 歩道の銀杏並木はまだ青さを保っていたが、街灯に照らされる葉の端にはところどころ黄が差しはじめているのが見えた。

 修吾は歩幅を抑えながら、先導する隣の里依紗をちらりと横目で見た。明るく会話を繋ごうとする声と、どこか急ぎ足気味な歩調。やはり偶然ではないと、確信めいたものが胸に浮かぶ。

 数分ほど歩いたところで、里依紗が立ち止まった。


 「ここです。ちょっと隠れ家っぽいでしょう?」


 雑居ビルの一階に、控えめな真鍮のプレートが掲げられていた。半分開いた扉の奥から、ジャズのベース音と琥珀色の光が外へ漏れている。

 中へ足を踏み入れると、途端に街のざわめきが遠のいた。やわらかな照明に包まれた店内はカウンターと数脚のハイチェアが主役の小さな空間で、壁際には深紅のソファ席も並んでいる。木目のカウンターには手入れの行き届いたグラスが整然と並び、磨かれたビールタップが光を反射していた。
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