想いと共に花と散る







 願いは、叶わなかった。
 ほどなくして、山南は捕らえられる。脱走という罪を背負い、自ら責を引き受けることになる。
 それが「正しい」とされる世界で、雪はただ一つだけ、どうしても理解できなかった。
 どうして、こんなにも静かに人が斬り捨てられていくのか。
 朝の光は、何事もなかったかのように屯所を照らしていた。
 そんな明るさだけが、ひどく残酷に思えた。







 その日は、朝から妙に静かだった。
 屯所の中に人はいる。足音も、声も、確かにある。それなのに、どれもが遠く薄く感じられた。
 雪は、何度目か分からない廊下を歩いていた。何処へ向かえばいいのかも分からないまま。

(今日は……)

 考えなくても、分かっている。分かってしまっている。
 曲がり角の向こう。普段は誰も気に留めない一室の前に、見張りが立っていた。
 そこだけ、空気が違う。重く張り詰めた空気が漂っていて、近寄れば斬られるのではないかと身構えてしまう。
 雪は、少し離れた場所に足を止めた。

「……ぁ……っ………」

 声を掛けようとして、できなかった。
 呼んでも、通されない。通されたとしても、もう話すことは許されない。
 そう察してしまった。新撰組は、そういう場所だから。
 しばらくして、障子の向こうから人の気配が増えた。
 低い声。短い応答。感情を削ぎ落とした遣り取り。
 その中に、山南の声はなかった。何処を見ても、探しても姿はない。

(……山南さん)

 名前を心の中で呼んだ瞬間、胸がひどく痛んだ。
 昨日まで、確かにそこにいた人。穏やかに笑い、他愛もない話をしていた人。雪に己の強さを教えてくれた人。
 なのに今は、「役目」と「罪」という言葉に挟まれて、個人としての輪郭を失っていく。
 雪は、知らず袖を握りしめていた。
 廊下の奥から、沖田が歩いてくる。顔色は悪くない。けれど、その目は何処か焦点が合っていなかった。
 そんな沖田の視線雪と視の線が絡み合う。
 一瞬、沖田は何かを言い掛けた。だが、結局は何も言わずに目を逸らした。
 それだけで、全てを知るには十分だった。

(……会えないんだ)

 もう、誰も会わせてはくれない。言葉を交わす余地も、時間もない。
 やがて、部屋の前に集まっていた人影が、一人、また一人と減っていく。それは、儀式が終わりに近づいている合図。
 雪は、透過の真ん中でただ立ち尽くしていた。
 止めたいわけじゃない。正しいかどうかを問いたいわけでもない。
 ただ、 「消えていく人を、見送ることしかできない」、その立場に自分がいることが、どうしようもなく怖かった。
 やがて、障子が静かに開く。
 誰かが出てきて、低く一礼する。それ以上、何も語られない。
 全ては終わったのだと、空気だけが告げていた。
 雪は、その場に残されたまま、動けずにいた
 涙は出なかった。叫びも、怒りもない。
 ただ、世界から一つの温度が失われたことだけが、はっきりと分かった。

(……これで、よかったの?)

 答えは、何処にもない。
 屯所の上を、雲一つない空が広がっていた。その青さが、ひどく遠く感じられた。
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