想いと共に花と散る
 その日以降、屯所で山南の名が出ることはなかった。
 まるで最初から存在しなかったかのように、帳場の空気も、廊下の音も、以前と変わらず流れていく。
 山南は、局中法度に「局を脱走するを許さず」に背き、罪人として処罰された。
 掟の上で生きる限り、破れば罰が与えられる。それが世の中の理だ。
 雪は、そう痛いほどに理解しているからこそ、山南の死が何よりも堪えた。
 誰も泣かない。誰も怒らない。誰も間違いだったとは言わない。
 新選組は、今日も正しく在り続けていると心から信じているのだ。

(……正しさって、こんなに冷たかったっけ)

 ふと、庭先に視線をやる。
 いつも山南が立っていた場所。隊士達を眺めながら、静かに微笑んでいた場所。
 そこにはもう、誰もいない。
 雪は気づいてしまった。
 山南がいなくなったのではない。“いなかったことにされている”のだと。
 だから、探しても見つからない。思い出しても、共有できない。
 それでも、確かに雪の中には残っている。
 雪が壬生浪士組へ来たばかりの頃に、強さとは何かを教えてくれたあの日。
 最初で最後の春に優しく名前を呼んでくれた瞬間。
 名簿の余白や視線がすれ違ったあの瞬間。最後に交わした、意味のない会話。
 それらが、消えずに胸の奥に沈んでいる。

(私が覚えていれば……知っていれば……っ)

 そう思った途端、喉が詰まった。
 覚えていることさえ、許されない場所で生きているのだと、理解してしまったから。
 夕刻、空が茜に染まる。
 いつもと同じ景色。いつもと同じ一日。
 だが、雪の世界は確かに欠けていた。未来を知っているはずの雪が何もできず、最初から定められていた運命に素直に従っている。

「なんで、私は………この時代に来たの?」

 もしも、神という存在がこの世に存在するのならば。
 神は何を思って、雪華という少女をこの時代に迷い込ませたのだろうか。
 壬生浪士組と出会わせ、新撰組の歴史を間近に体験させるのだろうか。
 何もできないのに、彼らの傍にいることに何の意味があるのだろうか。

「……っ、もっと、話せばよかった……」

 もっと話していれば、もっと傍にいて違和感に気づけていれば。
 山南は移り変わる時代に置いて行かれることもなく、今もここにいられたのだろうか。
 名を呼ばれず、悼まれず、それでも確かに存在していた人。
 その重さを抱えたまま、雪は今日も屯所の中を歩く。
 薄れていく名を、自分の中だけで必死に繋ぎとめながら。
< 270 / 273 >

この作品をシェア

pagetop