想いと共に花と散る
第五章

伊東甲子太郎という男

 近藤勇が呼び出されたのは、朝餉の支度が始まるよりも早い刻だった。
 使いの男は多くを語らず、ただ一言、「急ぎで」とだけ告げた。
 その口から零れ落ちた「長州」という名に、近藤は短く息を吐き、黙って羽織に腕を通した。
 屯所の空気は、何処か張り詰めている。
 雪はその違和感を、言葉にできないまま胸の奥に押し込めていた。
 廊下を進んでいる途中で、近藤の背後に並ぶ見慣れぬ男の姿が目に入った。
 年の頃は三十前後、柔らかな物腰とは裏腹に、鋭く周囲を見渡す目をしている。

(あの人……誰だろう。初めて見る人だなぁ)

 そう思った瞬間、男の視線がふと雪に向いた。僅かに口元が緩み、丁寧に一礼される。
 雪も慌てて頭を上げ、微かに笑みを浮かべた。
 すると、その男は近藤に何かを耳打ちするとこちらへと近づいてくる。

「もし。お初にお目にかかります」
「えっ、あ、はい。はじめまして、ですよね?」

 すらりとした長身に、狐のように細い目、口元に浮かぶ笑顔は何処か怪しげな男。
 彼は雪を頭から足の指先まで値踏みするように見た。
 もう一度向き直ると、元々細い目をより細くして笑う。
 そんな彼の反面、雪の表情は引き攣る。見ているだけで腹の底を見透かされそうな、値踏みするような視線が鋭く刺さった。
 
「そんな畏まらないでくださいな。こうしてお会いするのは初めてですが、屯所では何度かお見かけしておりますし」

 何処から取り出したのか分からない扇子で口元を多い、くすくすと押し殺した笑いを零した。
 
「あ、あの……」
「おっと、そうでしたそうでした。まだ名乗っておりませんでしたね。(わたくし)は新選組参謀、伊東甲子太郎と申します」
「参、謀……?」

 歴史や行政に疎い雪であっても、長らく新選組にいれば役職の名と立場くらいは分かる。
 参謀と言うと、局長、副長に次ぐ立派な役職だ。山南が似たような立場にいたはずである。

「貴方は……ああ、確か副長の小姓でしたか? 小さいのによく働くから覚えておりますわ」
「あ、ありがとうございます。えっと、雪です」
「雪。何ともお綺麗な名前ですこと」

 再び扇子で口元を隠し、妖艶な雰囲気を醸し出しながら小さく肩を揺らす。
 何がそんなに面白いのかや、中性的な仕草に物申したい部分は多々あるが、一つ分かったことがある。
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