ブーケの行方と、あの日の片思い
第十六章:途切れた会話の再開
二人の間に落ちた静寂は、緊張ではなく、心地よい“余韻”だった。
この時間を逃したくない――
そう思った優花は、そっと口を開いた。
「そういえば、宏樹」
「ん?」
「披露宴の前に少し話した時……映画の話をしようと思ってたんです。でも時間がなくて」
優花は俯きがちに言った。
「宏樹、『ミッドナイト・ランナー』覚えてますか?」
そのタイトルを聞いた瞬間、宏樹の表情がぱっと明るくなる。
「ああ!覚えてるよ。懐かしいな。ちょっとブラックユーモアの入ったSFだろ? 高校の卒業間際、みんなで話題にしてたよな」
「はい。美咲たちは『難しすぎてよく分からない』って言ってたのに……宏樹だけは『主人公の葛藤が一番良かった』って絶賛してました」
宏樹は楽しそうに笑った。
その笑顔は、当時の彼の面影を色濃く残していて、優花の胸に温かいものが灯る。
「そうそう。あれ、けっこうコアなファンが多かったんだよ。……まさか、相沢が覚えててくれたとはね。ちょっと意外」
「私も、あの監督の作品がずっと好きで。二年前に新作が出たんですけど……宏樹、観ました?」
優花は少し前のめりになった。
その無邪気な姿に、宏樹は一瞬、優しさのにじむ目をする。
「新作か……。残念ながら観てないんだ。二年前だと、仕事が一番忙しい時期でさ。映画を観る余裕なんて全然なくて」
(……やっぱり、すごく忙しかったんだ)
優花は寂しさより、彼の背負ってきたものを思って胸がきゅっとなる。
「そうだったんですね。あの映画も、光の使い方が独特で……もし時間ができたら、ぜひ観てください」
宏樹は真剣に耳を傾け、優花の言葉を噛みしめるように小さく頷いた。
「……なるほど。相沢が言うなら、きっといい作品なんだろうな。“相沢のおすすめ”って、昔からセンスが良かったし」
その一言に、優花は心臓が跳ねる。
(昔から……?)
優花は彼の前で、映画や本の話を積極的にした覚えは多くない。
それでも、彼は覚えていてくれた。
胸がじんと熱くなる。
「そんな……ありがとうございます」
優花は自然と笑った。
頬が熱くなるのを隠せない。
「でも、すごいよな。相沢は、昔好きだったものをちゃんと好きでい続けてる。……俺は、気づいたら手放してたもの、けっこうある気がする」
宏樹の声には、疲れと、自嘲と、少しの寂しさが混ざっていた。
優花ははっとした。
落ち着きの裏に、仕事に捧げすぎた年月の影。
責任を負い続けた男の静かな疲労――
それが、今の宏樹だ。
「……忙しい時こそ、好きなものって支えになりますよ」
優花は、そっと、柔らかい声で言葉を届けた。
宏樹のまなざしが、すっと優花に向く。
深く、長く、確かめるように。
「……そうかもしれない。ありがとう、相沢」
ほんの少し唇が緩み、どこか懐かしさを帯びた微笑みになる。
「君とこうやって話してると……昔のこと、色々思い出すんだよ」
優花はその視線を受け止めた。
逃れようとしない。
ただまっすぐに、同じ温度で見返す。
二人の間に流れる空気は、もう五年前のものではなかった。
――空白を埋めるための会話ではない。
新しい関係が、静かに芽を出すような、
そんな親密な気配が漂っていた。
この時間を逃したくない――
そう思った優花は、そっと口を開いた。
「そういえば、宏樹」
「ん?」
「披露宴の前に少し話した時……映画の話をしようと思ってたんです。でも時間がなくて」
優花は俯きがちに言った。
「宏樹、『ミッドナイト・ランナー』覚えてますか?」
そのタイトルを聞いた瞬間、宏樹の表情がぱっと明るくなる。
「ああ!覚えてるよ。懐かしいな。ちょっとブラックユーモアの入ったSFだろ? 高校の卒業間際、みんなで話題にしてたよな」
「はい。美咲たちは『難しすぎてよく分からない』って言ってたのに……宏樹だけは『主人公の葛藤が一番良かった』って絶賛してました」
宏樹は楽しそうに笑った。
その笑顔は、当時の彼の面影を色濃く残していて、優花の胸に温かいものが灯る。
「そうそう。あれ、けっこうコアなファンが多かったんだよ。……まさか、相沢が覚えててくれたとはね。ちょっと意外」
「私も、あの監督の作品がずっと好きで。二年前に新作が出たんですけど……宏樹、観ました?」
優花は少し前のめりになった。
その無邪気な姿に、宏樹は一瞬、優しさのにじむ目をする。
「新作か……。残念ながら観てないんだ。二年前だと、仕事が一番忙しい時期でさ。映画を観る余裕なんて全然なくて」
(……やっぱり、すごく忙しかったんだ)
優花は寂しさより、彼の背負ってきたものを思って胸がきゅっとなる。
「そうだったんですね。あの映画も、光の使い方が独特で……もし時間ができたら、ぜひ観てください」
宏樹は真剣に耳を傾け、優花の言葉を噛みしめるように小さく頷いた。
「……なるほど。相沢が言うなら、きっといい作品なんだろうな。“相沢のおすすめ”って、昔からセンスが良かったし」
その一言に、優花は心臓が跳ねる。
(昔から……?)
優花は彼の前で、映画や本の話を積極的にした覚えは多くない。
それでも、彼は覚えていてくれた。
胸がじんと熱くなる。
「そんな……ありがとうございます」
優花は自然と笑った。
頬が熱くなるのを隠せない。
「でも、すごいよな。相沢は、昔好きだったものをちゃんと好きでい続けてる。……俺は、気づいたら手放してたもの、けっこうある気がする」
宏樹の声には、疲れと、自嘲と、少しの寂しさが混ざっていた。
優花ははっとした。
落ち着きの裏に、仕事に捧げすぎた年月の影。
責任を負い続けた男の静かな疲労――
それが、今の宏樹だ。
「……忙しい時こそ、好きなものって支えになりますよ」
優花は、そっと、柔らかい声で言葉を届けた。
宏樹のまなざしが、すっと優花に向く。
深く、長く、確かめるように。
「……そうかもしれない。ありがとう、相沢」
ほんの少し唇が緩み、どこか懐かしさを帯びた微笑みになる。
「君とこうやって話してると……昔のこと、色々思い出すんだよ」
優花はその視線を受け止めた。
逃れようとしない。
ただまっすぐに、同じ温度で見返す。
二人の間に流れる空気は、もう五年前のものではなかった。
――空白を埋めるための会話ではない。
新しい関係が、静かに芽を出すような、
そんな親密な気配が漂っていた。