ブーケの行方と、あの日の片思い

第五章:遠くの席の彼

「優花も久しぶりだね」

宏樹は優花をまっすぐ見つめ、穏やかな声を落とした。
記憶より少し低くなった声が、胸の奥へ静かに響く。

優花は、表情を崩さぬように唇へそっと力を込めた。

「宏樹、久しぶり。元気にしてた?」

「うん、おかげさまで。優花も……変わらないね」

その言葉に、優花の胸に複雑な波が立つ。
“変わらない”――懐かしさの裏に、今の自分への変化を期待していた気持ちがそっと沈んでいく。

でも、今は挨拶の場だ。
健太と恵理が二人の間に割り込み、懐かしい学生時代の話を次々と持ち出す。宏樹は彼らの話に相槌を打ちながらも、どこか優花から視線を離さない。

「もうすぐ受付締め切られるから、中入るねー」
恵理の言葉に、宏樹は軽く手を上げて応じた。

一行は自然と散り、優花は再び待合スペースへ戻る。
宏樹は、別方向から来た友人グループに呼び止められ、そこで談笑を始めた。

優花は、彼から距離を取るように少し離れた場所に立ち、ウォーターサーバーの紙コップに水を注ぐ。

(大丈夫。挨拶はきれいにできた。ちゃんと平静だった)

そう言い聞かせながらも、心はまったく言うことを聞いてくれない。

どうしても――宏樹から目が離せなかった。

彼は友人たちと会話を弾ませながら、時折会場全体へ視線を巡らせる。その何気ない仕草が、優花の心の奥に眠っていた感情を、また静かに揺らしていく。

スーツは体にぴたりと沿い、学生時代では想像もしなかった大人びた雰囲気を纏っている。
友人の冗談に微笑む横顔は、かつて憧れた“光そのもの”の笑顔と重なりながら、今はさらに洗練されている。

(……やっぱり、素敵だ)

五年の歳月は、優花の想いをすり減らすどころか、静かに磨いていたらしい。
思いがけなく胸の奥が熱くなる自分に、優花はそっとため息をついた。

やがて教会の扉が開き、参列者たちが案内され始める。

優花は恵理たちと共に席へ向かい、席次表を確認した瞬間、安堵と微かな寂しさが胸に広がった。

宏樹の席は、優花の列から二つ後ろ――通路を挟んだ向こう側だった。

隣に座ってしまい動揺する事態は避けられた。
その一方で、式中に言葉を交わす機会もほとんどないだろう。

優花は席に腰を下ろし、背筋を伸ばした。
視線をそっと通路の向こうへ向ける。

ちょうど宏樹が席に着いたところだった。
彼は一度だけ優花の方を見たが、すぐに視線を前に戻す。

その遠い背中。

学生時代、優花にとって彼はいつも“遠くの席の彼”だった。
友人たちの中心で笑い、優花はただ陰から見守るだけ。
卒業とともに生まれた距離は、時間とともに胸の奥に沈んでいったはずなのに――。

いま、特別な式場で再会しても、二人の間にある距離は変わらない。

(……これでいいんだ)

優花はそっと目を閉じる。

祭壇近くに飾られた白い花々の香りが、ざわめく胸の内をゆっくりと鎮めてくれた。
ほどなくして賛美歌が流れ、美咲と健太の新たな門出を祝う厳かな儀式が始まる。
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