【完結】恋はあの人に、堕ちたのは君に。〜今日も意地悪な同期の腕の中で〜
そんなタイミングで、黒瀬がふと話題を切り替えた。


「で、高峰とは。仕事、うまくやれてた?」


「え……うん。無事、終わったよ。クライアントも満足してくれてて、今は後処理を他チームが引き継いでる」


「ふーん。……そ」


「……高峰くん、やっぱり仕事できるなって思った。準備も完璧だったし、フォローもうまくて。おかげで、こっちもすごく動きやすかったよ」


「へぇ…」


黒瀬の返事は、やけに短い。


「……会食のときね。高峰くん、クライアントにすすめられたお酒を代わりに飲んでくれてさ。
珍しく、すごい酔っ払ってて、フラフラだったから、家まで送ったんだけど──」


(あ……)


話しながら、少し笑っていた自分に気づく。


無意識に、あの時の酔って、子供みたいになっていた高峰の姿を思い出していた。




そのときだった。


グラスを持つ黒瀬の手が、ふと止まる。


ゆっくりと、有紀の方へ視線を向けた。


「……家、行ったんだ」


「あ、ちが……ほんとに送っただけ。すぐ帰ったし、何も──」


「別に責めてない」


そう言った声は、低く静かだった。


けれど、いつもより感情の波が読めない。


「黒瀬くん……?」


名を呼んでも、彼の表情は変わらない。


どこか冷たくさえ見えて、そのまなざしに、言葉を継げなくなる。



「……お前さ、」


間を置いて、彼が静かに言った。



「警戒心なさすぎ」

「……え?」

「酔った男の家なんて、何されても文句言えないから」



いつもより、淡々とした口調。


でも、その奥には確かに、言いようのない感情が隠れていた。


「た、高峰くんはそんなことしないよ…」



その一言に、黒瀬がフッと笑った。


その笑いは、どこか自嘲気味で、冷たい、ゾクリとするような、微笑だった。



「高峰は、そうでも———」



言いかけて、黒瀬の指先が、そっと有紀の頬に触れた。


驚いて見上げたときには、
その指が滑るように唇の端をなぞり、顎へ添えられていた。


「……俺みたいな奴だったら、手、出してるかもよ?」


「っ……」



低く囁くような声に、心臓が跳ねる。


まるで動きを封じるみたいに、指先が有紀の顎をそっと押し上げた。


唇が触れそうな距離。


呼吸の音すら、相手に聞こえてしまいそうな沈黙の中――



「……なんてな」


黒瀬がふっと笑って、手を離した。


まるでさっきまでの空気をなかったことにするように、あっけなく。


「……」


言葉が出なかった。


有紀はただ、取り残されたみたいに瞬きをする。


(……いまの、本当に冗談?)


聞けないまま、黒瀬は何事もなかったかのようにグラスに口をつけていた。



有紀の胸の奥には、ぬるく残る余韻だけが、静かに広がっていた。





< 92 / 172 >

この作品をシェア

pagetop