酒好きがバレて追放された元聖女ですが、不眠症の辺境伯様と【秘密の晩酌】はじめました 〜昼は冷徹、夜は甘々。ほろ酔い旦那様の執着愛が止まりません〜
 その日の夜。

 与えられた部屋は広くて豪華だったけれど、やっぱり寒かった。
 暖炉の火だけでは、この北国の冷え込みには勝てないらしい。

「……やってられない。こんな夜は、あれしかない」

 私は荷物から「あるもの」を取り出すと、こっそりと部屋を抜け出した。

 目指すは厨房だ。

 深夜の城は静まり返っている。

 厨房に忍び込み、ランプを灯す。
 石造りの厨房は冷え切っていたけれど、私にとっては秘密基地みたいなものだ。

「さて、開店っと」

 手鍋を取り出し、食料庫にあった安物の赤ワインをドボドボと注ぐ。
 そのまま飲むには渋みが強すぎるワインだけど、今夜の主役にはこれくらいが丁度いい。

 持参した荷物から、ハンカチに包んだスパイスセットを取り出す。
 シナモンスティックを一本、ぽきりと折って鍋へ。
 さらにクローブを数粒、八角をひとかけら。
 最後に、砂糖漬けにしておいたオレンジピールと、たっぷりの蜂蜜を投入する。

「美味しくなーれ、温まれー」

 小声で呪文を唱えながら、弱火でじっくりと熱していく。
 チリチリと鍋底から小さな音が立ち始め、やがてふわりと湯気が昇った。

 その時だ。
 私の指先から、ふわりと金色の光の粒がこぼれ落ちた。
 聖女の力。
 それが赤ワインの中に溶け込んで、しゅわりと小さな泡になって消えた。

 その瞬間、厨房の空気が変わる。
 ツンとしたアルコールの香りと共に、シナモンの甘くスパイシーな香り、そしてオレンジの爽やかな酸味が広がる。

「んん〜……いい香り」と思わず声が漏れた。

 ワインが沸騰する直前で火を止める。
 これが、元聖女特製「極上ホットワイン」。

 マグカップに注ぐと、赤紫色の液体が湯気を立てて揺らめく。
 冷え切った指先でカップを包み込むだけで、じんわりとした温もりが伝わってくる。

 さあ、いただこうかと思った、その時だった。

「……何の匂いだ?」

 背後から低い声がした。

「ひゃっ!?」

 飛び上がりそうになりながら振り返ると、そこには入り口の扉に寄りかかるフロスティ様の姿があった。

「あ……辺境伯様。お目覚めでしたか?」

「眠れるわけがないだろう……。結界の維持で魔力が……いや、君には関係ない」

 彼はふらりと足を踏み出し、鍋の方を睨んだ。
 その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。

「なんだ、その毒々しい色の液体は。魔女の薬か?」

「失礼な。これは命の水です」

 私はふと思い立ち、もう一つのマグカップにホットワインを注いだ。

 この人、見ていて、あまりにも痛々しい。
 元聖女の慈悲というよりは――不機嫌な顔をされると酒が不味くなる。
 この人が美味しいものを口にしたとき、どんな顔をするのか、と気になった。

「一杯いかがですか? 体が温まりますよ」

 フロスティ様は警戒心を隠そうともせず、私の手元を凝視した。
 でも、ふわりと漂う甘い湯気の誘惑には勝てなかったらしい。
 震える手でカップを受け取った。

「……温かい」

 彼は呟き、恐る恐る口をつける。

 その瞬間、彼の眉間が、ふわりと緩んだ。
 あら、イケメン……。

 熱いワインが喉を滑り落ち、胃袋へと到達したのだろう。
 体の内側からカッと熱が生まれ、それが指先、足先へと血液に乗って巡っていく感覚。
 蜂蜜の優しい甘さと、スパイスの刺激、そしてワインの芳醇な香り。
 それらが複雑に絡み合い、凍りついた心と体を内側から溶かしていく……はず。
 計算上は。

「……なんだ、これは。甘くて、熱くて……」

「ホットワインです。寒い夜にはこれが一番」

 私が自分の分をちびりと啜ると、フロスティ様は、ふう、と長く息を吐いた。

「……悪くない」

 彼はそう言うと、残りを一気に飲み干そうとして――

 ガタンッ。

「え?」

 カップがテーブルに置かれる音と同時に、フロスティ様の体がぐらりと傾いた。

「ちょ、辺境伯様!?」

 慌てて支えようとした私の肩に、ずしりとした重みが乗っかる。
 彼の頭が、私の肩に預けられたのだ。

「……すー……すー……」

「は?」

 耳元で、規則正しい寝息が聞こえる。

 嘘でしょ?
 あの不眠症オーラ全開だった辺境伯様が、秒殺?

 私の生まれながらに持つ「発酵・醸造スキル」には、微弱ながら聖女の魔力が乗る。
 それが癒やし効果となって、極度の疲労状態にあった彼を一瞬で夢の世界へいざなったらしい。

(……あまりにも無防備すぎる)

 覗き込んだフロスティ様の寝顔は、昼間の冷徹さが嘘のように幼かった。
 長く伸びた睫毛が震え、薄く開いた口元がなんとも無警戒だ。
 氷の城の主が、こんなところで、初対面の女の肩を枕にして爆睡するなんて。

(……ま、いいけど)

 重たいけれど、ポカポカして湯たんぽ代わりにはなりそうだ。
 私は彼を支えたまま、自分の分のホットワインを口に運んだ。

 スパイスの香りが鼻腔をくすぐり、甘いワインが喉を潤す。
 窓の外では猛吹雪が吹き荒れているけれど、この厨房の片隅だけは、とろけるように温かかった。

(新生活、悪くないかも)

 私は眠る旦那様の頭にコツンと自分の頭を寄せた。

 これが、私と不眠症の辺境伯様の【秘密の晩酌】の始まりだった。


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【★あとがき★】

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