祝福のあとで
グラスの中身が、少しだけ減る。

 ジャズの音が、
 さっきより近く感じた。

 ひかりは、
 しばらく黙ってから、ぽつりと言った。

「……今日」

 直の手が、わずかに止まる。

「仕事の打ち上げだったんです」

「そうですか」

 それ以上、聞かない。

 ひかりは、
 その沈黙に助けられる。

「昔の人に、会って」

 言葉を選ぶ。

「悪い時間じゃなかったです

 でも」

 グラスを見つめたまま、続ける。

「終わったあと、
 思ったより、何も残らなくて」

 直は、相槌を打たない。

 ただ、待つ。

「静かで」

「……驚くくらい」

 ひかりは、小さく息を吐いた。

 直は、ようやく口を開く。

「それで、
 ここに来たんですね」

 断定じゃない。
 確認もしない。

 ひかりは、少しだけ考えてから、頷く。

「たぶん」

「理由は、聞かない方がいいですか」

 少し前と、同じ言葉。

 ひかりは、微かに笑う。

「今は」

「わかりました」

 それだけ。

 でも、その一言で、
 胸の奥が、静かに落ち着いた。

 ひかりは、グラスを持ち上げる。

「……ここだと」



「考えなくて、済みます」

 直は、すぐには返さない。

 けれど、
 グラスを置く音が、いつもより優しかった。

「……今日は、
 誰かのためじゃなくて、
 いいと思います」

 グラスを置く音が、
 静かな店内に、やわらかく響く。

 その音が、
 区切りみたいに感じられて、

 ひかりは、
 ようやく息を吐いた。

 返事をしなくても、
 受け取ってもらえた気がした。

 それだけで、
 今日は、十分だった。
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