桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
「貴女が掴み取った希望です。貴女の選択が、勇気が僕らを此処に導き、貴女自らの願いを繋ぎました。望みはまだ此処にあります。僕に願いを告げたあの時と同じように、幸せへの決意をしてください」
 二人の真っ直ぐな瞳に、勇気をくれる言葉に、お腹に芯が入ったように力がわいてくる。ウサギを追いかけていたはずなのに、いつの間にか追い越して、背中を押されている。
「ありがとう、二人とも。ありがとう、女王様。ジャックさん」
 例えどんなに辛くても、どんなことがあろうと、私は呪いを解いてチェシャ猫を追いかける。
「女王様」
 女王様に向き直ると、女王様は神妙な面持ちでいた。アイスブルーの瞳に私が映る。
「誕生日の時の言葉、覚えているかな? 私、あの時と気持ちは変わってないよ。育ててくれて、ありがとう」
 先ほど気付いたことは、私は確かに大切にされ、祝福されてきたということ。
 両親がいない寂しさも忘れ、暗闇に怯えることもなく、食べることに困ることも、雨に吹きさらしになることもなかった。ずっと当たり前だと思っていた不自由のない暮らしは、女王様がくれていた。
「チェシャ猫がくれた想いを返したいように、女王様がくれた想いも私は返していきたい。だから、私はチェシャ猫をつれて帰ってくる。そうしたら、また、私は傍にいていい?」
「城から出ることなんて許さないわよ」
 その言葉に、裁判所の時からの確執がはがれた気がした。心の底から、喜びが身体全体に広がっていく。
 私の帰る場所は、此処にある。
「呪いを解くぞ」
 黒ウサギの合図に、白ウサギが鏡と向き合う。鏡を見つめる瞳は、憎いものを見るようでも、悲しみの色があるわけでもなかった。
 思い出す。この悲しみ、憎しみ、無念、切なさ。長い間、私達は過去から想いを受け継いできた。
 アリスはウサギの命を犠牲にし、ウサギは世界の為に消える運命を負った。命のやり取りを前に、時にいさかいや戦いがあった。
 大切なものを奪われ、憎くないはずがなかった。
 けれど白ウサギは、そういう想いを越えて未来を見ている。呪いを解きたいと私に伝えてきた覚悟の瞳。
「アリス、お別れじゃないわよね」
 女王様の消え入りそうな声に、私は驚く。旅に出た時だってこんな懇願するような悲しげな声は出ていなかった。それだけ私の身に何があるか分からないということだ。チェシャ猫が守ってくれない今、今度こそ、帰ってこられないかもしれない。
「お別れなんかじゃないよ。大丈夫、私を信じて」
 一呼吸おいて、女王様は長い睫毛を濡らして答えた。
「ええ、信じるわ」
 もう、対峙することはない。交わった私達は、今度こそ信じ合うことができる。
 鏡の装飾には針のない時計がついていた。黒ウサギと白ウサギはそのに針を嵌め込む。
 すると、鏡に女王様が写って、暗黒の魔女へと姿が変わる。魔女は笑っていなかった。何かを案じるような、悲しそうなような、狂っていない暗黒の魔女の姿に、目を見開く。
 その瞬間、鏡の表面にひびが入り、黒い光を放った。砕け散ると、その鏡の破片が黒を消し去るように光を爆発させる。
 眩しさに目を瞑った。

 ふ、と目が覚めると、膝に置かれた本が目に入った。少し古びたこの本は、家に遊びに来る御父様の友人、私達姉妹が「先生」と呼ぶおじ様がくれた宝物だ。
 先生は大学で教壇に登る数学者で、私も時々勉強を見てもらっている。
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