桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
「猫だと。一体どこから、む、天井の穴が空いているあそこからか。クソっ、仕事を増やしやがって」
 ダイナがフォローしてくれたようで、身体の力が抜けていく。
 足元を注意して、ゆっくりと階段を登る。更に扉を開けると、広い廊下にでる。誰かいるかと思っていたけれど、使用人はおろか人の気配がない。
 窓を見ると私の家族がいる館が見えて、息を吐いた。私は近くの窓から外へ飛び降りた。
「早く、早く何とかしなきゃ!」
 家に向かって、ユウリの敷地を駆ける。透き通るような青空と温かな風が作り出す平穏な日常は、繊細なガラスを纏っていたかのように、足を前に進める度に壊れていく。まるで、世界の崩壊を知らされた時のように、ゆっくりと、けれど確実に。
 時計の針が動く度に、ユウリが鞭で痛め付けられるようで、涙が込み上げてくる。
 誰か助けて。
 こんな時にもチェシャ猫が思い浮かぶ。不思議の国でも、この世界でも、私は非力で無力だ。今までは女王様やチェシャ猫や、皆が守ってくれて協力してくれた。でも今、たった一人のこの世界で、私は何が出来るんだろう。
 それに、何とかするって、どうしたらいいの。この世界は、不思議の国と何もかも違う。
 国が違うだけじゃなくて、世界の法則も常識も、全てが異なっている。空は青いままだし、花は歌う心を持たず、きっと川に落ちれば溺れてしまう。不思議の国では女王様に知らせれば事足りたけれど、この世界に女王様はいない。
 この世界でユウリを救う方法が、私には分からない。
 潜ってきた塀が見えて、穴を見つける。追いかけていたウサギ達も見付からず、本当に一人ぼっちになってしまった気がした。不思議の国から離れて、世界の崩壊も、人々を苦しめる呪いも本当にあった出来事なのか、記憶がぼんやりとしてくる。
「私はウサギの時計を止める使命を持った、『アリス』だったのかな」
 ふるりと頭を振って、疑問を打ち消す。今は、そんなこと考えている場合じゃない。一刻も早く、ユウリを救い出さなきゃ。
 穴を潜る為に地面を這う。敷地から脱出して立った時に、土で茶色くなってしまったワンピースが目に入った。
「ハリーお兄様」
 助けてくれるだろうか。私の家族かもしれないし、そうではないかもしれない。赤の他人かもしれないのに。仮に助けてくれたとしても、こんな事に巻き込んで、もしハリーお兄様やロリーナお姉様、兄弟達に迷惑をかけてしまったら。
 ふと、彼らとのやり取りを思い出す。優しさで溢れたあの家族を信じてみたい。
 私は、ユウリを助けたい。
 再び力を振り絞って足を進める。薔薇の植木を通りすぎて、玄関まで一気に駆け抜ける。ドアノブに手をかける間際、耳にハリーお兄様の怒声が聞こえてきた。
「ジェームズ! お前はもう子供じゃないんだぞ!」
 扉を開くと、ジェームズお兄様の背中が見えた。その横には、怒声にびっくりしたのか、恐る恐るハリーお兄様を見つめるヴィオレットとフレディックが並んでいる。
 ハリーお兄様は三人の前で腕を組み、顔を赤くしてジェームズお兄様を睨む。そんなハリーお兄様に怖じ気づくことはなく、ジェームズお兄様は演技するように指を鳴らした。
「でもさ、ハリー兄さん、真実の追及って必要じゃん? ほら、フレディック、この石頭に見せてあげろよ。隠された真実の闇ってやつをさ」
「いい加減に」
 ハリーお兄様が、私を見て大きく目を見開く。どうやら泥だらけの姿に驚いたようで、表情には絶望の色も混じっていた。ジェームズお兄様が振り返ると、ヴィオレットとフレディックもつられて振り返る。
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