桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 こじんまりとした小屋の中は、湿気が多いのかじっとりとしていて、どこか陰鬱な影が漂っていた。部屋の壁や棚には薬草がびっしりと繁り、それでも整理されて置かれている。ベッドには心許ない布があるだけで、寒い日は眠れなさそうに思えた。
 ――この机も、この部屋も、もうこれで見納め。それでいい。いいえ、私はアーサーと新しい街へ行きたいのだわ。
 エレノアは机の上にある鞄を開くと、薬草の茂みに手を伸ばす。保管された薬草の小瓶を手に取った、その時だった。
 乱暴にドアが叩かれ、凄まじい轟音が部屋に響き渡る。エレノアが驚いて振り返ると、古びていた木のドアは耐えきれなかったのか、叩かれた箇所が破壊されたところだった。
「貴方たち、一体何をするのよ」
 鍵は無惨にも地面に落ちて、武装した村人がわらわらと部屋に入ってくる。薬草を背に、エレノアは村人を睨んだ。
「魔女の断罪である!」
「疫病を蔓延させた魔女め、今こそ裁きを受けるのだ!」
「お前のせいで! 許さない、許さない!」
「ちょっと、やめなさい!」
 屈強そうな男の人達はエレノアの腕を掴むと、縄で縛りあげていく。
「何するのよ! きゃ」
 声をあげると、顔を殴られた。
 ――怖い。
『怖い』
 頬の痛みに思考が飛んでしまった。初めて振るわれた暴力に、私の意識がぐらりと揺れる。男の人が乱暴に縄を引っ張ると、肌に縄が食い込んで、その痛みが更に私を追い詰める。私を、エレノアを囲む人達の視線はもう人として見てはいなくて、恐ろしくて気を失ってしまいそうだ。
 ――殺される。
『殺される』
 エレノアの心の声と、私の意思が溶け合っていく。私自身が薄れている気がして、なんとか意識を保とうとするけれど、恐怖で気を失いそうになる。
 ――どうして、今日なのよ。どうして、どうして、助けて、アーサー!
 エレノアの叫びは喉で小さな悲鳴をあげるだけにとどまり、胸の内にアーサーを呼ぶ声が児玉する。
 ――アーサーを、呼ぶわけにはいかない。あの人が私と関係があるなどと、知られてはいけない。あの人には、立場が、未来があるのだから。でも、あぁ、アーサー!
 エレノアの身体が乱暴に荷台に積まれ、痛みを庇うことも出来ないまま運ばれてしまう。荷台が止まると、十字がそびえ立つのが見えて、実体のない瞳から涙が出そうになった。
 ――十字にされた木の板、下には燃えやすい薪。ここで、私は焼かれるというの?
 夢で見ていた光景を思い出して、恐怖で戦慄が走った。
 ここで私はエレノアと一緒に焼かれてしまう。
 逃げたい。怖い。大衆の呪いをうけながら、あんな業火に焼かれるなんて、きっと耐えられない。でも、でも。
「やめて! やめなさい! 私は魔女じゃない! 誰かを呪ってなんていない! やめなさい!」
 誰もエレノアの主張に耳をかさず、早く焼かれてしまえと憎しみの視線を向けてくる。抵抗もむなしく、エレノアの身体は十字の前に差し出され、待ち構えていた数人によってあっという間に磔にされてしまった。
 なんとなく、エレノアが焼かれてしまえば私も焼かれ、その業火で私は死んでしまう気がした。逃げることなんて出来ない。
「クククク、共に焼け死のうぞ、アリス」
 エレノアの視界が見える、大衆の中に暗黒の魔女が紛れ込んでいる。驚きを声に出すことも叶わず、ゆらり、とドレスを揺らし、エレノアの前に降り立った暗黒の魔女を見つめる。その顔には、狂喜が宿っていた。
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