桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~

2 帽子屋と眠りネズミ

2 帽子屋と眠りネズミ

『アリス』
 誰かの囁く声。聞き覚えのないその声の主は、視界がはっきりしないままボヤリと現れた。真っ白な耳。真っ白な髪。彼の命を刻む時計の音が、チクタクと進む。
『黒ウサギを選びなよ。アリス』
『白ウサギ』
アリスさんと、あれは、十三代目の白ウサギ?
『僕は君が好きだよ。アリス。いつだって君を想っている。だから』
 そう言った白ウサギの唇が一瞬だけぎゅっとしぼんだ。けれど決意したのか、血色の良い唇が開かれる。
『だから君は黒ウサギを選ぶんだ』
 アリスさんの青い瞳から涙が溢れる。白ウサギは彼女の頬にそっと手を添えた。
『行くんだ、アリス。黒ウサギの元へ。僕は、僕が消えるとしても君を恨んだりしない』
 白ウサギがアリスさんの涙を優しく拭う。
 ――どうして。
『アリス。黒ウサギが君を待っている』
 白ウサギが微笑む。そしてアリスさんの頬にそっと口付けた。
 ――どうして、貴方が消えないといけないの。どうして、消えようとするの。
『さようなら。愛しいアリス』
 頭の中にアリスさんの悲しみが流れ込んでくる。悲しい時計の記憶。白ウサギはどうなったの? 
 映像が薄れる中で、アリスさんの悲しい声が木霊している。十三代目のアリス。女王様の妹。アリスさんは白ウサギと黒ウサギ、どちらを選んだんだろう。時計の記憶を探ろうとしても、思うようにいかない。 
 待って。私は、どうすればいいの? 
 白ウサギと黒ウサギ、どちらを選べばいいの?
 時計は知っているんでしょう?
 ねぇ、私はどうしたら……


「おはようアリス」
 目を開けると、チェシャ猫が私の顔を覗きこんでいた。起き上がろうとすると、妙な浮遊感でクラクラする。穴に落ちていくのは二度目だけど、なかなか慣れない。 
「立てるかい? ほら、街についたよ」 
 チェシャ猫の手を取って周りを見渡すと、カラフルな街並みが目に飛び込んだ。そして、奇抜な人々の仮装衣装。家は虹色のテープや花で装飾され、道ではパーティードレスを着た婦人、頭に大きな花を付けた子供、中にはピエロやライオンまでいて、仮装パーティーみたいだ。皆グラスやカップを片手に、何やら楽しそうに歌って踊っている。
「すごい、今日は何かのパーティーなの?」
「アンハッピーバースデイを祝っているんだよ」
「誕生日じゃないのにお祝い?」
「そう、誕生日じゃないからお祝いなんだよ」
 なぞなぞを言われているような気がして、頭がショートしそう。つい先日お祝いしてもらったばかりだから、理解が追いつかない。
「この街についたならとりあえず帽子屋の所へ行こうか」 
「帽子屋?」
「うん。帽子屋。ウサギの行方を知っているかも」
 チェシャ猫はそう言うと私の手をひいて歩きだした。 
「こっちだよ。はぐれないようにね」
 その言葉を聞いて、チェシャ猫の手を強く握る。踊る人々の合間をくぐり抜けていく間、誰かが「アンハッピーバースデー!」と叫ぶ。するとカップのぶつかる音が一斉に響いて、楽しそうな笑い声が響いた。
「チェシャ猫はここに来たことがあるの?」
 スイスイと進んでいくチェシャ猫。チェシャ猫の顔を見上げると、先程と変わらない表情がある。
「うん、城にアリスを迎えに行く前は、よくこの街に寄って、帽子屋の館に来ていたよ。あまり長居はしないけどね」
「そうだったんだ」
 チェシャ猫の家はこの街の近くなのかな? 
 問い掛けようと口を開きかけた瞬間、それはチェシャ猫の言葉によって遮られた。 
「ここが帽子屋の館だよ」
 チェシャ猫に言われた場所を見ると、目の前には大きな館。館の扉までの距離は長く、中央に噴水が置かれている。青い屋根に、クリーム色の壁。黒い窓は一つ一つ装飾がしてあって、遠目越しでも芸術的な作りをしていることがわかった。ところどころに帽子の装飾や模様のようなものがあって、ここが帽子屋の館なのだと知らせる。
「どうやって入るの?」
 目の前の大きな館に驚きつつ、開きそうにない鉄の門を見つめる。門番もいなければ呼び鈴もない。中に入る為の手段がないように思える。
「こうするんだよ」
 チェシャ猫は何処からか一枚の紙を出し、鉄の門に貼った。紙には十月六日と記してある。
 どういう意味だろう?
 そう考えた瞬間。貼り付けた小さな紙は青い薔薇に変わり、鉄の門は棘へとどんどんと変化を遂げる。言葉を失い唖然としていると、やがて鉄の門は青い薔薇のアーチへと変化した。薔薇のアーチは館の扉まで続いている。
「綺麗」
「珍しいかい?」
「うん!」
 チェシャ猫の問いに答え、薔薇のアーチの中へと進む。見慣れない青い薔薇。お城にある赤い薔薇を見ているせいか、より美しく見えた。情熱的に燃える赤い薔薇とは対象に、この青からは、神秘的で落ち着いた雰囲気が感じられる。アーチを進んでいく中、薔薇の蕾は次々と開花していく。
 その光景に目を奪われる私を見てチェシャ猫がクスリと笑う気配がした。
「アリス。ほら、此処の主人が君を迎えに来たよ」 
「此処の、主人?」
 前方に目をやると、館の扉がギィ、と音を立てながら開いている所だった。中から人影が出てくる。
「久しぶりだな。チェシャ猫」
「久しぶりだね。帽子屋」
 中から姿を現したのは、シルクハットを被り燕尾服を着た青い髪の青年。薔薇やリボンの飾られた華やかなシルクハットは、手作りなのだろうか。
< 23 / 209 >

この作品をシェア

pagetop