桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 後ろで縛られている青い髪は、まるで薔薇の青のよう。その青と落ち着いた雰囲気が、館の主なのだと威厳を語る。
「ようこそ。選ばれたアリス」
「初めまして! えっと」
「帽子屋と呼んでくれ。ずっとアリスが来るのを待ちわびていた」
 帽子屋は近付いてきたかと思うと、跪いて私の手をとり、手の甲に唇を落とす。その時、何か冷たいものを感じたのか、帽子屋がチェシャ猫に視線を戻した気がした。
「君に会えて嬉しい」
 顔を上げた帽子屋の深い青の瞳には、底の見えない感情が渦巻いている気がした。それが優しいものなのか、怖いものなのかは分からない。けれど、それは紛れもなく私に向けられた感情。
 咄嗟に言葉を返せないでいると、帽子屋は立ち上がり、上品な笑顔を浮かべた。
「さぁレディ、中へどうぞ」
「う、うん!」
 帽子屋に案内され、館の中へと足を踏み入れる。館の中には帽子がずらりと並べてあって、どれも芸術品だ。中には貴婦人が被るような帽子や、兵隊が被る帽子もある。先程の仮装パーティーでも見かけた帽子がいくつかあった。
「帽子屋、眠りネズミは?」 
「あいつなら自室で寝ている。アリスが来ているのに残念な奴だ」
「二人共、眠りネズミって誰?」
「この館に帽子屋と一緒に住んでいる寝てばかりのネズミだよ」
 私の問いにチェシャ猫が答える。
「あぁ、もうすぐあいつも起きてくるだろうから、アリスも後で会えるさ」
「ドブネズミなんかに会う必要ないよ」 
 会えるのに会うなって。しかも何だか酷い言い様なような。チェシャ猫がこんな風に言うなんて珍しい気がする。 
「もしかしてチェシャ猫は眠りネズミが嫌いなの?」
「大嫌いだよ」
「即答するくらい嫌いなんだ……」
「チェシャ猫、毒のある言葉は紅茶が不味くなる。さぁ、着いたぞ」
 帽子屋が一室の扉を開ける。
「どうぞ」
 帽子屋の一言で部屋の中へ入ると、部屋の中央にある大きなテーブルの上に人数分のカップが現れる。
「こちらの椅子に」
「ありがとう」
 帽子屋が引いてくれた椅子に座る。チェシャ猫は私の隣に来ると、そのまま椅子に座った。
「本来なら今、君に出会うはずはなかったわけだが。崩壊は喜べない事とは言え、ウサギには感謝をしなければならないな」
 いつの間にか紅茶を淹れながら話す帽子屋。紅茶からは良い香りが漂ってくる。
 刻限を知ったような口振りに、どきりとした。心情が読まれたのか、帽子屋は目を細める。
「知っているさ。ウサギが刻限に行かなかったことも。これまでのウサギの事も。君はウサギを追いかけているのだろう」
「うん」
 帽子屋の細められた瞳が、怪しく、少しだけ妖艶に光った気がした。でもその光はすぐに消えて、帽子屋の視線は流れるように紅茶に注がれる。
「城の暮らしから一転、大変だったろう。ゆっくり休むといい」
「ありがとう、帽子屋」
 目の前に出された紅茶のカップを持ち、口に含む。ほっとする香りと味が胸を暖かくした。
「君もウサギも、不憫でならない。過去、ウサギの時計を止めるため、女王はウサギを軟禁したことがあると聞く。暗黒を生むと気づき、以降はしなかったようだが。今回はアリスが苦行を強いられている。人を消すという意味を、君に分からせないまま」
 軟禁、という聞きなれない単語に、思わず顔をしかめたのが自分でも分かった。
「チェシャ猫はウサギの事を聞きにきたのだろうが、アリスは違うようだ」
 心の深層を覗き込むような青い瞳に、呼吸が止まる。どこまで、見透かされてしまうのだろう。
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