桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
「わわわわ! 謝らないでくださいアリス! ああ! 下を向かないで!」
 視線だけ上に上げると、あたふたとした白ウサギが映った。その姿は先程の真剣だった時とは違う、初めて見る白ウサギの新しい一面。あたふたとする白ウサギが可笑しくて、そして白ウサギと触れ合えた事が嬉しくて思わず口元が緩む。
「チェシャ猫! 貴方もぼーっとしてないでアリスに何か慰めの言葉を」
 振り返ると白ウサギの言葉で我に帰ったチェシャ猫の姿があった。
「チェシャ猫、大丈夫?」
「うん。平気だよ」 
 チェシャ猫はそう言うと、いつもの優しい笑顔に戻る。いつものチェシャ猫だ。
「お姉ちゃん元気だして?」 
 ビルと呼ばれた少年が私を見上げ、ニッコリと笑う。 
「ありがとう。元気が出たよ」
「良かった!」
 ビルは先程よりもとびきりの笑顔になって言った。
 その笑顔はとても可愛く、思わず抱き締めたい衝動が走る。夢魔といい、私は小さい子に弱いのかな。可愛くって仕方がない。
「ではアリスが元気になった所で、話を続けましょう。なぜ僕らに呪いが」
 言葉が途切れ、白ウサギの体が後ろに傾いたかと思うと、直ぐに消えて見えなくなった。
「え、白ウサギ!?」 
 狂気に支配されかけていた時には気付かなかったけど、ここは橋の上。白ウサギは橋の手すりに座っていたのだ。状況を理解すると同時に、ドボンという音が聞こえてくる。
「チェシャ猫っ、白ウサギが!」
「うん。落ちたね」
 チェシャ猫は悠長に構え、川に落ちた白ウサギは気にしていない様だった。
「ふふっ。お姉ちゃん、白ウサギはおっちょこちょいだからいつもの事なんだよー!」 
「そ、そういう事じゃなくて! 白ウサギが溺れていたら大変!」
 焦っている私とは正反対に、二人はキョトンとしてお互いに顔を見合わせた。
「え? 私何か変な事言ったかな?」
「川に沈んでも溺れないよ。沈んで溺れるのは海だろう?」
「そーだよ! 誰も川では溺れたりしないよー?」
 二人の言っている意味が分からず、今度は私がキョトンとする。
「川は溺れない? でも、海は溺れる?」
「そーだよ! じょーしきだよ!」
 ビルはクスクスと笑いながら、白ウサギが落ちた場所へ近付いていく。
 川は溺なくて、海は溺れる。やっぱり女王様の言いつけを守らず勉強をサボり続けたのがいけなかったのか。ショックを受けている間、小さなビルは橋の手すりによじ登り終わった様だった。
「ふー。じゃあお姉ちゃん、ぼくも行くねっ!」
「ビル!」
 白ウサギは川の中だし、ビルにまで会えなくなってしまったら、どうすればいいんだろう。
「ふふっ。そんな心配そうな顔しないで。お姉ちゃん」
 ビルは可愛らしい笑顔でクスクスと笑うと、今度は何かを試すような表情を作った。
「白ウサギは、逃げたりしない」
 音色は低くなり、先程感じた怪しげな、子供とは思えない雰囲気を放っている。 
「呪いを解きたいのなら、君に覚悟があるのなら飛びこんでおいでよ。でも、ウサギを追いかけるのが、君の仕事だよ」 
 ビルは最後にニコッと笑うと、川へと飛び込んでいった。
 白ウサギを追いかけるのが、私の仕事?
 アリスの使命とは違う意味で言われた気がして、その言葉の意味を必死で探る。だけど今は、その言葉の深い意味を、掴めそうにない気がした。
「アリス」
 ふと耳に入った、私の名前を呼ぶチェシャ猫の声。その声に振り向くと、チェシャ猫はこちらを見つめていた。少しだけ寂しげな、そんな瞳に私は重要な事に気付く。
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