桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 白ウサギがドアノブを回す。扉からは泡が出迎えて、青い視界が光でいっぱいになる。帽子屋の館も大きかったけれど、白ウサギのお店も負けてない。広々とした空間に、同じくらいの驚きを感じた。白ウサギの館は天井が建物五階分くらい遠い。上なんて見上げていたら首が痛くなりそうだ。
「どうぞ中へー。僕が案内しますよー」
「お邪魔します!」
 ひんやりとした川の中から抜けて部屋の中に足を踏み入れる。瞬間、隣にいたチェシャ猫に引き寄せられ視界が揺らぐ。その最中、目の前で海ガメが素早くしゃがむのが見えた。 
 ゴン
「いた!」
 何かが視界を掠めたと同時に、後ろで白ウサギの叫び声と痛々しい音が響く。後ろを振り向くと、頭を抱えうずくまる白ウサギがいる。汚れが一切ない白い床には、コロコロと転がるお玉。もしかして今視界をかすめたのって、お玉なのだろうか。 
「危ない所だったね」
「白ウサギ、大丈夫?」
「うう、全く、お玉を投げないでくださいと注意しているのに」
 無事じゃない白ウサギは、額を擦りながら、お玉を手に取って立ち上がった。
「ただいまですー。中々素敵なお出迎えじゃないですかー」
 痛がる白ウサギから視線を移すと、海ガメの目の前にはワナワナと震える人影がある。
「ただいまー! グリグリー!」
「グリグリ言うな! ビルと白ウサギはともかく、海ガメ! また僕に仕事押し付けやがって!」
 グリグリと呼ばれた少年は、右手に持つお玉を海ガメに向かって振り回す。
 海ガメはそれらを全て素早く避け、すいすいと館内へ入っていった。
「大人しくお玉くらえ!」
「どこに大人しく攻撃くらうバカがいるんですかー? 僕にそんな趣味ありませんよー」
 少年はお玉を振り回すけれど、一向に海ガメに当たる気配はない。
「二人共止めて下さい! あーもうグリフォンも落ち着いて下さいってば!」
 白ウサギが喧嘩を止めに入っても効果はなさそうで、二人は厨房に突入してもまだ走り回る。吹き抜けになっているから、食事をとりながら厨房を伺うことができる。逆もまた然りだ。幸いにもお客さんはいないのが救いだ。
「海ガメええぇ! 今日という今日は許さないからな!」
「別に君に許してもらわなくても結構ですよー」
「こんの! サボリ魔!」
 二人のやり取りを見ていると、時間が立てば立つほど喧嘩は激しくなる気がする。
 それよりも海ガメ、ゆったりした口調のわりに動きが素早いグリフォンと呼ばれた少年の攻撃を掠ることなくかわしていく。
「チェシャ猫、止めなくていいのかな?」
 と言っても喧嘩が止まる気配はなさそうだけど……
「その内収まると思うよ。アリスが気になるようなら止めるけど、止めるかい?」
「うーん、収まるなら無理に止めなくてもいい、かな?」
 お玉を振り回すグリフォンと逃げる海ガメ。それに喧嘩を止めようとする白ウサギ。
 似ている。城にいた時の光景と。
 私が女王様の部屋に忍び込み、女王様のお化粧道具で、鏡に落書きをしたことがあった。口紅は文字を書くのに使って、肌をととのえる薔薇の水を植木鉢に流し込んでしまったり。女王様に全力で追いかけられたのも、今では楽しかった思い出だ。
 その後結局一日牢に入れられたんだけど、隠し持っていた最後の口紅を使って、床にお絵かきしていたっけ。 
 そういえば女王様は私が呪いを解こうとしているなんて知らない。もし知ったら反対するだろうか。
「あ、メアリーお姉ちゃん!」
 ビルの大きな呼び声にはっとする。
「あ、ビル! ん? そこにいるのは」 
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