桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 床に落ちる雫。震える身体。泣いている。そう気付いたのと同時に、前代アリスが選んだ事を知る。
『好きなの。黒ウサギが好きなの。誰よりも、お姉様よりも一緒にいたい』
 ああ、十三代目アリスは、きっと――
『私は、貴方の事が――』
 貴方が好きだと、黒ウサギにそう伝えたかったんだ。
『なら、黒ウサギを追いかけるぞ。三月ウサギはもう殺された。時間がない』
 鋭い視線で前代チェシャ猫は前代アリスに言い放つ。前代のチェシャ猫からは苛立ちが増し、待ちきれないというように足先を床に打った。
 三月ウサギが、殺された? どうして。
 前代チェシャ猫が少しずつ消えていき、完全に消えると一人が取り残された前代アリスが呟く。
『どうして。どうしてなの。お姉様……』
 夢が途切れ、余韻が残らないまま意識が現実へと戻る。
「お姉様、って女王様のことだよね。前代の三月ウサギは殺された?」
 物騒な単語に、一気に不安が押し寄せる。そして不安と共に訪れる、微かな予感。
 三月ウサギの死に、女王様が関係している?
 最悪の想定が思い浮かびながら、身体を起こす。
「平気か?」
 不意にかかった声に、気遣う声の主を見上げると、黒ウサギの険しい表情が間近にあった。
「私は大丈夫。それより黒ウサギの方が、二人分の重さの下敷きになったよね。心配なのは黒ウサギの方だよ」
 崖に落ちた時と同じような会話に、ふと頬が綻ぶ。
「やっぱり黒ウサギは優しいね。何度も助けてくれて、何度も心配をしてくれている」
「俺はお前を信じない」
 放たれた言葉に驚き黒ウサギを見ると、黒ウサギの瞳からは敵意が感じられた。
 触れられそうなほど傍にいるのに。心は遠い場所にある。私を拒絶する思いがその瞳に見えて、胸が締まった。
「お前の事も、鏡の事も」
 黒ウサギは一瞬目を伏せると、もう一度信じない、と呟く。
「鏡のこともって、黒ウサギは鏡の在りかを知らないの?」
 嫌な予感が頭を過り、身体から血の気が引いていく。
「鏡なんてない! そんな物があったら遠の昔に呪いは解けている!」
 切なそうに叫ぶ黒ウサギの言葉が、痛々しく胸に届く。
「鏡が、ない? だって白ウサギは呪いが解ける鏡があるって」
『暗黒の魔女が残していった鏡を割れば全ての呪いは解ける、そう記してありました』
 白ウサギは確かにそう言っていた。
 白ウサギが前代達に導かれ、たどり着いた本。その本に記されていたのならきっと間違いはない。でも、黒ウサギの言う通り、呪いを解く鏡があれば前代達だって探して呪いを解くだろう。そうなれば文字通り呪いは解けているはず。
 どちらを信じればいい?
 白ウサギと黒ウサギ。どちらの言っている事が正しいの?
 不安になりチェシャ猫に目をやると、チェシャ猫は三月ウサギと必死に戦っている。
 目にも止まらぬ死闘。三月ウサギは狂ったように笑いながら右、左、真ん中、縦、横、斜め、と不定期に真っ暗な鎌を何度も振り下ろす。攻撃をかわすチェシャ猫。チェシャ猫の身体能力が優れているからか、三月ウサギの攻撃はなかなか当たらない。
「ヒャハハハハハ! チェシャネコチェシャネコ! ヒャハハハハハ!」
 何が可笑しいのか、三月ウサギは笑う。その狂い様に悪寒を感じ、冷や汗が出た。
 どうしたら人はこんなにも狂えてしまうのだろうか。
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