桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
「迎えに来たってわりには強引だね。アリスをどうするつもりだい?」
「貴様には関係ない」
 その一言で、周りの空気が更に鋭くなる。一触即発、そんな雰囲気だ。
「何で? どうして女王様がそんな命令を? だって女王様は私の帰りを待っていてくれるんじゃなかったの?」
「ハァ、ハァ、ウゥ」
「三月ウサギ!」
 呻き声に意識を向けると、三月ウサギの余りの状況の酷さに唖然とする。
 三月ウサギの胸から止めどなく流れる血。それは三月ウサギの服を赤く染めるだけでなく、地面まで赤く染め上げていく。黒々とした土が血を吸って、まるで生命を得ているようだった。
 一度パニックになった思考は素早く回らず、この状況の末路がどういう事なのか、広がる鮮血のようにじわじわと理解していく。このまま出血が治まらなければ、三月ウサギは死んでしまう。
『三月ウサギは、帰って来る。帰って来るんだ』
 三月ウサギに近づく死を理解した頭に、フラッシュバックが起こる。
 狂った帽子屋が望んでいたのは?
 微笑んだ眠りネズミの真意は?
「さ、三月ウサギ」
 力の入らない体を動かし、手と膝を使って三月ウサギの元へ近寄る。
 近くにきて解る。噎せかえる血の臭い。淀んでいく瞳。途切れ途切れの呼吸。
 細い手首にそっと触れれば、流れる血流が徐々にゆっくりとなっていくのを感じた。三月ウサギの身体全てが、生気を失っていく。目の前の状況にショックの余りに、声を失う。
 解ったのに。帽子屋が望んでいた願いが。眠りネズミの言った意味が。
「ダメ、三月ウサギ。死んじゃダメだよ」
 帽子屋はずっとずっと、三月ウサギの帰りを望んでいた。言葉にしなくたって、眠りネズミだって三月ウサギを大切に想っていた。
「死んじゃダメだよ。三月ウサギは帰らなきゃ。帽子屋達のところに帰らなきゃ。二人が待っている。貴方の帰りを、二人が待っている!」
「ボウシ、ヤ、」
 帽子屋の名に反応したのか、体がピクリと動き言葉を発する。
「ボウシヤ、ド、コ。アリス、ミツケル」
 消え入りそうな声で、三月ウサギから紡がれる言葉。
「三月ウサギ! 帽子屋が待っている! だから死なないで!」
 溢れる涙を拭い、ようやく何をしなければならないかを思い付き手を動かす。
「止血、しなきゃ」
 震える手を抑えてポーチから布を取り出し、胸の傷口へと当てる。
「お願い! 止まって!」
 夢中で三月ウサギの手当てを始めた次の瞬間。
 影が出来たかと思うと、金属が弾かれる音が鳴る。
 驚いて瞬時に顔を上げると、すぐそこにはチェシャ猫の背中があった。チェシャ猫が防いだのは、こちらに向くエースの剣の先。その剣戟は、確実に三月ウサギの首を狙っていた。
「何をする気だったんだい?」
 私と三月ウサギを守るように立つチェシャ猫が、声を低くして目の前の人物に問いただす。
「そこをどけ」
「僕は何をする気だったのか聞いているんだよ」
 声色は深みを増し、怒気を含んでいた。声色や視線、その身体全てが怒りで震えているのが伝わってくる。何も答えないスペードのエースに、チェシャ猫は更に怒りを含めた声で叫ぶ。
「三月ウサギを殺す気だったんだろう! 手負いで何もできない三月ウサギに、剣を向ける必要はないはずだ。彼の狂気は止まっているのに」
「チェシャ猫、ダメ!」
 静止も虚しく、チェシャ猫は爪を武器にして、エースに向かって走る。爪は剣に弾かれ、弾かれた右手は後ろへと下がる。エースは剣を容赦なく振るい、斬りかかろうとするものの、チェシャ猫はマントで斬激を凌いだ。
 どうすればいいんだろう。
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