桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 いつの間にか離れた黒ウサギの手に握られているのは、ずっと黒ウサギが守り続けてきた懐中時計。
「止めないよ。白ウサギの命だもん。止められるはずないよ」
 そっと、黒ウサギの背中に手を回す。
「お願い。その時計を、生きて守って」
 それが貴方の生きる糧になっていると言うなら、これからも時計を守り続けてほしい。
「生き続けて。生き続けよう黒ウサギ。最後まで諦めないで。自分だけが犠牲になればいいだなんて、悲しいことを考えないで。綺麗事かもしれないけれど、苦しい事も、悲しい事もあるけど、それと同じくらい楽しい事や嬉しい事があって、私も白ウサギも、黒ウサギとこれからの未来を共有していきたいの。私は諦めたくない」
 我が儘だけれど、諦めたくない。
「ねぇ、黒ウサギ。黒ウサギの願いは何?」
白ウサギが私に問いかけたように、私も黒ウサギに問う。
「俺の、願いは」
ずっと胸に秘めていた黒ウサギの想いが、解き放たれる。
「本当は、本当は誰よりも生きたいと願っていた。消えたくない。まだこの世界で生きていたい」
初めて触れた、黒ウサギの思い。それはきっと、ずっと黒ウサギが願ってきたこと。
「うん。生きて。一緒に生きよう」
 涙が出ながらも、黒ウサギに笑いかける。互いに顔を見合わせると、黒ウサギも少しだけ微笑んだ。
『クヒヒヒヒヒヒ。面白い面白い面白い! 実に愉快だぞ、アリス!』
穏やかな空気を破るように突如辺りに響いた狂喜の声に、身の毛が弥立つ。
「お前」
 私から体を離すと、声の方向へ黒ウサギが叫ぶ。森を掌握し始める暗黒の気配。危険を知らせるかのように木々はざわめき、嫌な風が吹き荒れる。密度の高い邪悪な空間が渦巻く一点を見つめれば、想像した通り空間はどんどん嫌な影を作っていく。
『妾から逃げ切れた気でいたか? ハハハハハハハハハ! 無知無能なことよ!』
「暗黒の魔女!」
 翻る華美なドレス。靡く漆黒の長い髪。
 再び目にする暗黒の魔女の姿に、恐怖よりも憎しみに似た感情が湧く。
「そうそうそう、そうだ! もっと憎めアリス! 憎め憎め! 憎め! 妾を憎んで憎んで憎んで憎んで憎んで闇に染まるが良い! ヒャハハハハハ!」
狂気の含む耳障りな声に、神経を逆撫でされる。怒りが湧き、黒ウサギに腕を引っ張られなければ、募った憎しみを叫び散らしそうになった。
「落ち着け、挑発に乗るな」 
 黒ウサギは私の前に出ると、暗黒の魔女を睨む。
「ほぉ、ククク、それはどういう心変わりだ? たぶらかされたか? クヒヒッ、面白い面白い面白い面白い!」
 何がそんなに面白いのか、私を守るように立つ黒ウサギを見て、暗黒の魔女は再び愉快に笑う。甲高く、しかしどこかテノールの混じった声に鼓膜が震える。呪いの言葉を囁かれているようで、耳を塞ぎたかった。
 黒ウサギはそんなことは気にも止めずに、暗黒の魔女ただ一点を睨む。
「面白い、十四代目は実に面白いぞ! 黒ウサギを手懐けた手懐けた手懐けた! ククク、ヒャハハハハハ!」
「黙ってこの場から去れ! 暗黒の魔女! 此処にお前の居場所はない!」
 どこからか取り出した銃を片手に、銃口を暗黒の魔女へ向ける。銃口の先は真っ直ぐに心臓へと向けられていた。
「フハハハ、何をほざくかと思えば。上手く隠したつもりか?」
 暗黒の魔女が腕を垂直に伸ばし斜めに振り上げた。
 警戒して身体が固まる。空を斬るように振り下ろされた瞬間、空気が裂かれ、何かが破られる音がした。
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