桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 突如、宙に現れたウサギの穴から、チェシャ猫が出てくる。そしてチェシャ猫に続き、三月ウサギ、エース、スペード兵達までもが破れた穴から落とされた。皆の身体が地面に落ちたのを合図に、私の身体は跳ねるように動いた。
「チェシャ猫、三月ウサギも、無事で良かった」
 地面に膝をつき、様子を確認する。
 ゆっくりと呼吸を繰り返し上下する身体。深く眠っているようで目を覚まさない。傷も思っていたより酷くないようで、安堵に息が漏れる。三月ウサギに至っては、怪我の箇所から流れていた血も止まっていた。
「皆を黒ウサギが助けてくれたの? エースやスペード兵の人達も、黒ウサギが?」
「安心するのはまだ早い。魔女はこいつらを意図があって引き出したんだ。油断するな」
 肯定がないのが答えだった。駆け寄って私の近くに来た黒ウサギは、変わらず銃口を暗黒の魔女に向けながら、私を守るように立つ。銃を構える黒ウサギの横顔は、緊張している。ほんの少し流れる汗。満足げに笑う暗黒の魔女を睨む瞳には、焦りが浮かんでいた。
 人質、そんな言葉が頭に浮かんだ。
 私達だけでなく、チェシャ猫達をも弄ぶつもりなの?
 不意に、嫌な想像が頭に浮かぶ。魔女の考えが読めない以上、想像はどんどんと嫌な方向へと加速し続ける。
 最悪の結果を想像し、緊張が走る。暗黒の魔女の力を持ってすれば、私達の命など一瞬で消せる。けれどそれをしないのは、楽しむため? それとも、出来ないの?
 封印された暗黒の魔女。封印されたというのが噂でなければ、もしかしたら手が出せないのかもしれない。後者なら、どれだけ良いか。けれど今までの圧倒的な魔力を見せつけられた今、そんな僅な希望さえも打ち砕かれる。良い風に考えては駄目。普段前向きに考えるのは良いことだってジャックさんが言っていたけど、今は慎重にならなきゃ。
「ふははは! 疑問を抱いているようだな、アリスぅぅぅ! 判りやすい、実に判りやすい! 妾が何故お前らに手を出さぬのか、不思議なのだろう! 今宵お前の目の前に現れたのは戯れ。妾がお前に良いことを教えてやる」
「人の命も、心も弄ぶ魔女の言うことなんか聞きたくない!」
 暗黒の魔女が告げようとしている言葉は、取り返しのつかないほど私の心に傷を残す。そんな気がしてならない。
 暗黒の魔女を倒したい。その気持ちは変わらない。だけど、チェシャ猫も三月ウサギもエースも。守ることの出来ない今、早く暗黒の魔女が去るのを願うばかりだ。けれどそんな私の願いを踏み潰すかのように、暗黒の魔女は唇を開く。
 発せられた言葉は呪詛と違いがなかった。
「真実の予言をしてやろう! 妾は暗黒の魔女。狂気を支配し絶望を与えるのが妾の役目。そんな妾がかけた呪いだ。消えるのは一人のはずがなかろう? 貴様の前から大事な者が消える! 消える! 消える! くく、ひひひはははははは! きゃはははは!」
「どういう、こと?」
 魔女の笑い声が響く中、突然告げられた言葉に意味が解らず茫然とする。まるで初めて行く街で置いてきぼりにされた気分だった。暗黒の魔女の言葉が、脳に刻まれたかのようにリピートする。
『キエル』
 言葉の恐ろしさに身体中の鳥肌が立つ。膝に触れる土が一層冷たく感じた。
 言葉の明確な真相は分からない。ただ分かったのは。
「消えるのは、ウサギだけじゃないの?」
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