桃色のアリス ~暗黒の魔女とアリスの想い~
 俯いた私の頭上から、望む答えを言ってくれるのを待っているのに、黒ウサギは何も言ってはくれない。永遠に絶望が続く。静寂が統べる世界に、希望なんてない、そう諦めそうになる。
「消えないで。誰も、消えないで」
「消えないよ」
 静寂を切った言葉に、顔をあげる。暖かな声は、私の知る人の声。声の持ち主に視線を移せば、そこには優しく微笑むチェシャ猫がいた。
「チェシャ猫! 怪我は大丈夫なの?」
 エースに斬られた傷口を抑えながらも、しっかりとした足取りでチェシャ猫は近付いてくる。暖かな手が、私の頭に乗せられた。
「消えないよ、アリス。君が諦めなければ消えない。君が諦めさえしなければその消える誰かや、死んでしまう誰かの運命は変わる。だから、消えない。消えないよ」
 じわり、と涙が出てくる。それは、私が今一番欲しかった言葉――
 勇気付けて欲しかった。まだ、希望はあるって信じられるように。
 呪いを解く方法が分からなくても、魔女の予言が真実であっても私は。
「諦めたくない! 諦めたくないよ!」
 少しの間だけ、今だけでいい。弱い私を許して。勇気が出る言葉を私にかけて欲しい。
「うん、諦めないでアリス」
『君なら必ず呪いを解けるから』
 チェシャ猫がみっともなく泣く私の頭を撫でる。それだけで、絶望が消え去っていく。弱い自分さえ許された気がした。魔女がいた時は、自分さえ失ってあんなにもうダメだと思ったのに、今では忘れていた決意が蘇る。魔女の力はそれだけ大きい。存在だけで希望を奪う魔女の力。人の心の奥底にある狂気を呼び覚ます恐ろしい力。今になって、力の差を思い知る。
 けど、諦めたくない。誰も消えてほしくない――
「悪い。俺が泣かせたのも同じだ」
 黒ウサギが、苦しそうに私を見つめる。
「違うよ、私の心が弱かったから。黒ウサギに感情をぶつけてごめんなさい」
 黒ウサギは気まずそうに、視線を反らすばかりで笑顔を見せてはくれなかった。
 あの時、何も言わなかった黒ウサギ。魔女の予言に関する真実を隠している気がして問い詰めてしまった。
 知りたい。でも、聞いても黒ウサギは答えてはくれない気がする。それが少しだけ……
「悲しいノ?」
 後ろから砂を踏む音と共に現れた人の気配。
 何?
 チェシャ猫も黒ウサギも、一瞬で警戒に入る。空気に緊張感が漂うのが分かった。
 私の反応が遅いのか、後ろを振り向く間もなく、間近に澄んだ鈴の音が耳に飛び込む。
 首筋に揺れた髪がかかり、首を擽る。擽ったさと得体の知れないモノの接近に、思わず後退りをした。
「な、に? 貴女は誰? いつの間に此処に?」
 振り向くと、そこには銀色の長い髪を持つ少女がいた。
 歳は幾つか下にも見えるけれど、纏う雰囲気は少女のものではなく、年齢の判別がつかない。艶の良い長い髪が、あまり手入れされていないのが不思議に思えた。
 首には、鈴とピンク色のリボン。前と後ろの二つのリボンに目がいく。どこかで見たことがあるような気がした。
 後ろの大きなリボンは印象的だ。けれど一番目を奪われたのが、頭にある耳と足から覗く長い尻尾。チェシャ猫と同じ、猫耳と猫の尻尾。色は違うけど猫だということは分かった。
「わたしハ、ダイナ。先ほどから此処ニいた。主に、抱かれて。わたしハ、主ノ魔法ヲかけなおし二来たノ」
 一歩、ダイナと名乗った少女が近付く。チリン、と鳴る鈴は不穏な気配は感じさせず、むしろ懐かしさを覚えた。私はこの子を知っている。
「待って。私に抱かれて?」
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