敗戦国の花嫁 ー愛してはいけない人を愛してしまった
***
 
 戦争が始まる前の夜、ユリアはヘレンの執務室を訪れた。

「お兄様、やはり今回の戦い、受け入れるべきではないと思います」
 ユリアは手のひらをぎゅっと握り、声を震わせながら続けた。
「辛くはありますが、降伏するべきです。……あの大国の力は凄まじいと噂されています。いくらお兄様でも、危険すぎます」
 
 胸が押し潰されそうな思いで、視線を床に落とす。

「あの大国の力が強大なことくらい、私もわかっている……」

 ヘレンはゆっくりと視線を落とし、言葉を続けた。
 
「しかし、降伏したところで国の者たちはどうなると思う? 降伏した者は皆、奴隷として生きるしかないのだ。お前も知っているだろう?」

  ヘレンは一瞬言葉を切り、視線を伏せた。
 ユリアもまた、戦場に立つたび、敗れた者たちの行き着く先を目の当たりにしてきた。
 
「……ですが、お兄様」
 
 震える声で問いかける。
 
「危険が高いと分かっていて……お兄様は、怖くはないのですか」

 胸の奥が押し潰されそうな想いで、ユリアは手を握りしめ、必死に声を振り絞った。

「何もせず見ているだけなど、私にはできない」
 
 ヘレンは目を閉じ、肩の力を抜くこともできず、苦痛に顔を歪めながら続けた。
 
「信頼してきた仲間たちが自由を失い、お前のように息を潜めて生きることになる……。それの方が悔しくて、怖くてたまらないのだ」

 視線を遠くに泳がせ、握った拳を確かめるように手元で力を入れる。
 
「何より……私にもっと力があれば、お前を自由にしてやれたかもしれない。そう信じ、力をつけてきた。それなのに、さらにお前のような者を増やすというのか? 私にはできない……」

 その言葉を吐き出したあとも、ヘレンの肩は小さく震え、握りしめた拳の熱が冷めることはなかった。

「でしたら、私も戦に――」
「だめだ!!!!」

  ユリアの言葉を遮るように、ヘレンは声を荒げた。
 張り詰めた空気の中、ふたりはしばらく互いの目を見つめ合っていた。
 ヘレンの視線は揺らぐことなく、強く前を向いている。
 ユリアは、握りしめていた手をそっとほどいた。
 胸の奥に残る悔しさに唇を噛みしめながらも、兄の決意から目を逸らすことなく、静かに一礼する。

 それ以上、言葉を重ねることはなかった。
 そのまま振り返らず、ユリアは執務室を後にした。

 ヘレンと言葉を交わしたのは、この日が最後となった。

 
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