あなたの幸せを願ってる…って、あなたが幸せにするのよ!!
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
義母から手紙があったのは1か月後のことだった。
『ちょうどこれを送る数日前に、息子は旅立ちました』
闘病生活のことについて詳しく書かれてはいなかったけど、『息子はあなたにあんな姿を見せたくなかったの。わかってあげて』とあった。
それから何通かやりとりをしていたが、『もう私たちのことは気にしなくていいからね』という手紙を皮切りに、連絡は途絶えてしまった。
「どうしたのかしら……。でも、もう姻族関係もないわけだし……」
当初はそう思っていたもののどうしても気になって、小さな馬車でつい1か月ほどまで住んでいた屋敷に向かうことにした。
あの大きくはないし豪奢でもないけれど、とても心地よかったあの屋敷は、すでに取り壊されていた。
あったのは、小さな墓石だけ。
夫の名前が彫られた、簡素なもの。
茶色になりかけている花を見るに、もう義母も義妹も北の辺境にいる親族とやらのもとに向かったのかもしれない。
私は家から持ってきた花束から数本を取ると、夫の墓石の前に手向けた。
「……安らかにお眠りください」
夫の闘病生活のことは知らないし、一緒にいられたのはたかだか数年だった。
でも――
「またお会いできたら、その時はまた夫婦になりたいです」
胸の前で手を握って、そう祈った。
その後、私は結局誰とも結婚せず、五十なかばで流行り病によって命を落とすこととなった。
自分でもなんともあっけない終わり方だ、と死に際に思ったのは覚えている。
それまでに私がしたことは、大きく分けて2つある。
まずは夫たちが住んでいたあたりの土地を買い取ること。
爵位が消えた貴族家の領地は一度王家の管轄となり、そこから新しく爵位を授かった方に賜られたり、実績をもとにどこかの貴族にさげわたされたりする。
例にもれず、あそこの土地は新しく男爵位を授かった商人が得たのだが、交渉してあの屋敷の周りだけ買い取ることができたのだった。
新男爵も領地を広げることにはさほど興味がなかったのと、私と夫の話を聞いて同情してくれたみたい。
そしてもう一つやったことが、不治の病に対する研究。
この国には優秀な人材が集まる『王立科学研究機構』というものがあり、新しい技術の開発や、国内の未知の土地にある資源の探索、限られた資源の有効活用法を探るなど、様々な研究が行われている。
今回夫が罹患した不治の病についても、治療法が日々模索されていると聞いて、参加することに決めたというわけ。
とはいえ、貴族令嬢しかも末っ子の私は、家政こそ学んでも医薬や理学といったものは一切学んでこなかったので、とても苦労した。
公爵家の伝手を総動員して国内の名だたる研究者を家庭教師として呼び、公爵家の財力を惜しみなく使って日々必死に学びを続け、勉強を始めること約五年。
ようやく、王立科学研究機構の研修生として採用された。
そう考えると、夫が私を男爵家に在籍させたままではなく、公爵家に戻したのは英断だったと思わざるを得ない。
ただ研修生はあくまで学生のような立ち位置のため、そこからさらに何回もの試験を突破し、三十中頃でようやく王立科学研究機構の研究者となった。
研究者になるのは、スタートラインに立つのと同義。私には、不治の病の治療法を探すという目的がある。
私が研修生になるために勉強し、研修生になったあとに切磋琢磨していたときも、確固たる治療法は見つかっていなかった。
そうして不治の病に対する治療法を探す日々が始まった。
父や母は私のことを心配して、お見合いを手配したり婚約者を探したりしていたみたいだけど、私が王立科学研究機構の研究者であることがわかるなり、みな口を揃えて辞退したらしい。
学のある女は嫌だったみたい。夫の希望は無下にしてしまったのは申し訳なかったけれど、私にとってはちょうどよかった。
研究に没頭したかったし、離縁してから十数年経っても、夫のことを忘れられそうになかったから。
そうしてそこから二十年ほど。
ようやく、不治の病の治療法の理論が出来上がった。
試しに作った実験薬では小動物であれば効果がほぼ100%あったし、理論上でも人間にちゃんと効果がある――はず。
はず、というのは、理論が出来上がった段階で私が流行り病によって命を落としたから。
とはいえ、ここまで行けば私がもう何もしなくとも、あの不治の病はただの病気になるはず。これで、私や夫みたいになる人たちがいなくなるのであれば、それでよかった。
貴族の令嬢としての品位や幸せなんてものは、私の人生にはなかった。強いて言うなら、最後にちゃんと人間相手に薬が効くところをこの目で見たかったけど、まぁ、それはいいでしょう。
子宝に恵まれて、夫の幸せを一身に浴び、豪奢なお屋敷と領地で仲良く暮らす――
そんな幸せとは程遠かったけれど、私にとってはこの生活はとても幸せで、夫を殺した病の治療に希望が見えたことは、この上ない喜びだった。
(これで悔いはないわ……)
天に召される瞬間、ふとそう思った。
ふいに脳裏に夫の姿がよぎって、なんだか無性に寂しい気持ちになってしまう。
(これから夫に会えるとなると嬉しいのに。顔に皺もしみもたくさんあって……もう少し、ちゃんと美容に気を遣ってればよかったわ)
でもちゃんと嬉しくもあって、私はくすっと笑ってからはやる気持ちを抑えながらゆっくりと目を閉じた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ヘレン。すまないが、離縁してほしい」
「……えっ」
長いのか短いのかわからない沈黙と暗闇を過ごした。
そして目を開くと、あの時の光景だった。
雑多なものなどなく洗練された彼らしい執務室と、結局彼と離れたあと一切見なかった黒髪赤目という珍しい容貌。
夫が私に、離縁を迫っていた。
なんだかとても懐かしい気がするし、とても最近の出来事のような気もする。
どうしてこんな状況になっているのか、夢でも見ているのか、と理解ができずに呆然していると、夫はふるふるとかぶりを振った。
「君ならわかってくれるだろう。私たちは政略結婚で――」
夫は何かをつらつらと話していたが、私の耳には入ってこなかった。
私は私で辺りを見回し、もう一度ここがあの執務室なのかを確認する。
自分の手を握ったり開いたりして、あとは手の甲をぎゅっとつまんだりして……
(痛い……やっぱり、夢じゃないのかも)
また会えたら夫婦になりたい、そう思っていた。
叶わぬ願いだと確信していたし、子供の妄想のようなものだった。
(まさか、こんな運命みたいな出来事が起きるなんて!)
おそらく時間が巻き戻っている――そう理解した瞬間、目頭が瞬時に熱くなり、ぽろぽろと目尻から雫が落ちていく。
研究者の時の記憶が、再現性とか現実的に可能かどうか、だなんて喚いているけど、そんなことはどうでもよかった。
「すまない、ヘレン……突然のことで驚いてしまうのも無理はない」
夫は私が急に涙したのを、急な離縁で驚いてしまったのだと勘違いしているみたいだった。
「だが、俺ではあなたを幸せにできないんだ」
わかってくれ。
そう告げた夫に――イラッとした。
「……いいえ!」
ふいに大きな声が出てしまったけれど、もう遅い。
普段は至極真面目な彼が驚く様子が見られて、ほんの少しだけ溜飲が下がる。
でも、この数十年、想いに想ってきた感情がふつふつと湧いて、どんどんむかついてきてしまった。
「へ、ヘレン?」
夫が目をみはりながら名前を呼んでくるのを無視して、夫に近づいてシャツを思い切りたくし上げる。
「っ!?」
夫が息を呑む気配を感じながら、まじまじと彼の体にある痣を観察した。
あの時のものと同じ。研究していたときの記憶もそう言っている。
「隠していて、すまない。実は……この不治の病が……」
――これは、治せる!
たしかにまだ今の時代では治療薬は開発されておらず、痣が現れたあとは大人しく死を待つしかなかった。
でも、私が研究して、私が治療薬の根本を研究した。
最後まで見ることはできなかったけど、理論上は彼を助けられる!
私は申し訳なさそうに呟く夫を見上げた。
と同時に、またむかつきが胸の内から湧いてきた。
(あんなに突然に、私の知らないところで勝手にいろいろと決められていたの、やっぱりむかついていたのかもしれないわ)
そう思うと、彼に文句の一つは言いたくなってしまって。
「わかりました。では、馬車で実家に帰らせていただきます」
「……わ、わかった。話が早くて――」
「ですが、荷物はいりません。また帰ってくるので」
「は、はぁ? あなたいったい何を……」
眉尻を下げながら戸惑う夫の襟元を強くつかみ、顔を近づかせる。
よくよく見ると、彼の目元がうっすら赤い。きっと、私に話す前に彼もかなり泣いていたのかもしれない。
……でも、だからといってこちらに話さずにすべてを決めるっていうのは、違うと思うのよね!
「一人で勝手に決めて、私を実家に帰そうとしたくせに、よくもあんなに寂しそうに私を突き放したものね!」
大声で怒ってるはずなのに、ぽろぽろと涙が出てきて声が震えてしまう。
「たしかに、私たちの結婚はお互いの家の利のためのものだわ。じゃあ、あなたにとってあんなに愛し合った私たちの生活は嘘で、本当は崩したかったんでしょ!」
「い、いや」
「病めるときも健やかなるときも一緒にいるって誓ったのは、噓だったわけ!?」
「ちがう!」
私の大声を掻き消すように夫がするどく言い募り、執務室に沈黙が降りた。
数秒ののち、夫は弱々しく告げた。
「あなたを愛していたのも、病めるときも健やかなるときも一緒にいたいのは本当だ。……だがこの体じゃあ、あなたを幸せにはできない……」
前の私だったら、それを聞くなり滂沱の涙を流して彼を抱きしめ、彼の考えそのままに実家に帰っていたことだろう。
でも、いま私の胸のうちにあるのは、怒りだ。
情けない顔で絶望をたたえる夫をじっと見つめながら、私は襟元の手に力をぐっと籠めて顔を近づけさせ、勢いあふれるままに彼にキスをする。
愛しい思いはもちろんある。
でもいまは、数十年も私を独りにしたことへの怒りとか、私に何も言わずに何もかも決めたこととか、だというのにあんなに寂しそうな気持ちのまま逝ったこととかに、とっても文句を言いたかった。
数十年ぶりの夫を堪能して、唇をゆっくりと離す。
「な……なっ!?」
彼はその場で腰を抜かして、床に座り込んでしまった。
顔が紅潮し少し間抜けな表情の彼を見て、やっと胸のむかつきが収まった。
「いいですか、旦那様」
私は立ち上がったまま夫を見下ろす。
「私にはその痣を治す手立てがあります。なので、今から作ってまいります」
「は? だがこれは不治の病で」
「大丈夫です。話すと長くなるので、すべては旦那様が治ったあとにお話しします」
啞然とする夫を置いて、私は執務室の扉へ足を向ける。
と、言い残したことを思い出して、廊下に出る直前、彼を振り向いた。
「治ったら、これまで以上に私を幸せにしてください!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
そうして実家に戻った私は、研究者だったときの記憶と、公爵家の財力と地位を総動員して治療薬を作った。
王立科学研究機構に協力の連絡を入れてみたけれど、いまはまだただの一貴族令嬢でしかない私の言うことを国がやすやすと聞くはずがない。
なので、公爵家主導で王立科学研究機構に似た研究所を立ち上げ、優秀な人材を一気に引き抜いた。
材料や器具もまだ開発されていないものがあったから、それも公爵家御用達の凄腕職人たちに設計図を渡して、どんな依頼よりも先にやってもらうように通達した。
そんな感じで無茶をやった結果、公爵家に戻って数日経たずに国王陛下に呼び出されたのだけれど……
「ヘレン。国王陛下から召集の手紙が届いてるよ」
「いま、人を救うことに忙しいので、1か月後なら行けますとお返事しておいてくださいませ」
治療薬の再現には、私の知識と技術を総動員しなければいけない。
国王陛下にいろいろ説明をしている時間が惜しかった。
どうやら翌日ごろに、私を連れて行こうとする騎士がたくさん来たらしいけれど、父が一人で蹴散らしたみたい。
さすがお父様!
そうして最終的に様々な人たちの尽力と、様々な物量作戦の甲斐あって、夫の命を奪った不治の病の治療薬は、巻き戻ってからたったの2週間で完成した。
「戻りましたわ!」
「ああ、ヘレンさん!」
男爵邸に戻ると、迎えてくれたのは義母だった。
安堵のような不安のような複雑な表情の義母に向けて私は一度大きく頷くと、早歩きで廊下を歩きながら夫が休む部屋へ向かった。
気が急くのをそのままに、素早くノックをして返答も待たずに扉を開ける。
ずっと扉が閉められていたせいか中は少し温度と湿度が高く、もわっとした空気が顔に当たる。
でもそんなことお構いなしで、ベッドに眠る夫のもとへ駆け寄った。
「旦那様! 約束通り戻りましたわよ!」
「っ、あ、あぁ……ぐっ」
夫の体を蝕む痣は2週間前に比べて大きくなっていて、腹部だけでなく腕や顔にまで広がっている。彫刻のようだった体はとても細くなっていて、私が触れただけで折れてしまいそうなほど。
しかもかすかにでも動かすと痛むのか、夫はこちらを見ながらうめき声を上げた。
「あぁ……ヘレン……」
弱々しい声で呼ばれると、胸が詰まってしまう。
かつて見たあの至極真面目で頼り甲斐のある面持ちは、いまはまるで独り取り残されたような子供のようだった。
「君がいない間……ずっと、会いたかったよ……愛しい人……」
「…………もう」
まなじりに涙をたたえながら、旦那様は眩しそうにこちらを見る。
もしかしたら、この時間に巻き戻る前の旦那様――この不治の病で亡くなった旦那様も、そう思っていたのだとすると、とても申し訳ないことをしてしまった。
義母や義妹がいるとはいえ、独りのまま逝かせるなんて。
「もう、私は……君が見られただけで、幸せだ……」
「馬鹿言わないでください」
天に召される直前と言いたげな夫の言葉を一蹴して、私は持っていた布製のバッグから小瓶を取り出した。
中は淡青色の液体で満ちているが、これが不治の病の原因を体内からなくす薬だ。
「私はまだまだ旦那様を見たいですし、旦那様とお話ししたいですし、旦那様のそばにいたいです。勝手に一人で決めないでください」
小瓶を口もとに持っていって傾けると、夫は素直にこくりと飲む。
嚥下機能が落ちているからか時折むせていたけれど、効果がある量を最後までしっかり飲んでくれた。
「あとは数日ほど熱が出ますから、ゆっくり眠ってください。そうしたら、今後の話をいたしましょう」
私を出迎えるだけでかなりの体力を使ったのか、すでに夫はうつらうつらしている。
薬のせいでここから二、三日ほど寝込むことになるが、徐々に痣が引いていき、元気が戻ってくるはずだ。
「私、旦那様が回復したら行きたいところがあるんです。ずっと行きたかったけど言えなくて後悔したので、今回はちゃんと言いますからね」
そう告げて夫の汗の浮かんだ額を軽く撫でる。
深く刻まれていた眉間のしわが薄らいだ気がした。
「ちゃんと最期まで、私を幸せにしてくださいね」


