〝都合のいい妻〟をやめさせていただきます。

無慈悲な宣告

「彼女が俺との子を妊娠した」

 それは、突然の出来事だった。
 夫であるロベルトに呼ばれ、ミスリアは彼の部屋へ向かった。そして、冒頭のセリフを吐かれたのである。

「ミスリア様、ごめんなさい。ごめんなさい……」

 夫にの隣には、肩を抱かれ、ミスリアにひたすら謝罪するけなげな女性がひとり。
 彼女はミスリアが特に親しくしていた、王宮御用達薬師のセリーナだった。
 結婚してからなかなか子宝に恵まれないミスリアをいつも気にかけ、薬師として、友人として、優しくしてくれていた。
 ――そんなセリーナがどうして夫との子を身ごもり、寄り添っているのか。
 謝罪を受け取る前に、頭が追い付かず、なにも飲み込めない。

(夢でも見ているの……?)

 悪夢としか思えない光景に、ミスリアの意識は現実から逃げ出そうとしていた。
 ただ目を見開き、動揺で微かに身体を震わせるミスリアを見て、夫であるはずのロベルトは面倒くさそうにため息をつく。
 そしてじっと鋭い眼差しを向けて、妻であるはずのミスリアにこう言った。

「セリーナは俺の愛人として、これから王宮に住んでもらう。俺の子を身籠っている以上、こうなってしまうのは理解できるな?」

 ――なんと無慈悲な宣告なのか。
 王太子妃として必死に積み上げてきた全てを、ミスリアはこの瞬間、信頼するふたりの手で奪われてしまった。

* * *

 エルシオン王国は、魔法によって繁栄を築いた国だった。
 王都の街並みは色鮮やかで、魔法の光に満ちている。
 この国で魔法を使えるというのは、高位な人間である証だ。
 しかし、世界的に見ても強い魔力を持つのは男性ばかりで、女性は比較的弱い魔力で事足りる魔法しか使えなかった。
 その事実から、エルシオンでは昔からこういった言い伝えがある。
『世界で最初に魔神から力を与えられ、体内に魔力を宿したのは男であり、女は男から魔力を分け与えてもらっただけにすぎない』――。
 人々はこの言葉を疑うことなく受け入れ、やがてそれを〝常識〟として定着させた。……その結果、エルシオンでは男尊女卑の価値観が強く根づいた。
 女とは男を立て、陰ながら支え、一歩どころか三歩引いて見守ること。
 あくまで女性の魔法使いは〝男性に魔力を分け与えられただけ〟。だから、男をサポートするためだけに魔法を使えばいい。
 エルシオンに生まれた女性は、そうした価値観のもとで育てられる。とりわけ魔法使いが集う上流階級の世界では、その教えが徹底していた。
 王都にある王立学園では、男子生徒は戦闘や対魔物を想定した幅広い魔法を学ぶ。
 男の魔法使いは五属性――火、水、風、土、雷のいずれかの魔力を宿す。
 貴族であれば一属性は当然、二属性ならそれなり、三属性で優秀。すべてを扱える者は天才で、稀少な存在だと言われていた。
 何種類かの属性を宿しても、どれかがうまく扱えなければ、一属性に絞って極めるという道もあるらしい。
 一方で女性も仕組みは同じだが、宿す魔力量が男性に比べて圧倒的に少ない。
 そのため攻撃系の大規模な魔法は会得できず、扱えるのは属性から派生した、少ない魔力で使える生活魔法のみとされていた。
 生活魔法とは、衣服や住居を整え、日常を支えるための魔法である。
 風なら清浄、雷なら照明、火や水なら温度調整――いずれも自分のためでなく、将来のパートナーを支えるための術として教えられる。
 元々持つ魔力量が大きすぎる男性は、こういった繊細な制御を必要とする魔法には向いていなかった。そしてなにより、理論上は使えるとしても、評価されることのない魔法にわざわざ魔力を消費しようと思う男性は、この国にいない。
 エルシオンでは、強力な魔法こそが価値とされるからだ。
 そして、女が生活魔法以外の魔法の知識を身につけることは、エルシオンでは明確な禁忌だった。
 戦闘魔法や高度な理論は男が学ぶもの。女が踏み込む必要はなく、むしろ踏み込んではならない領域。
女がそれ以上を知ろうとすることは、分をわきまえない振る舞いであり、男の力を疑う不遜な行為だとさえ言われていた。

 ――そんな国で、ミスリアはオリオル侯爵家の長女として、王家に連なる家柄と、女性としては恵まれた魔法の才を持って生まれ育った。
 実はミスリアは幼い頃、国のご法度を破ってしまったことがある。
 祖母の屋敷で偶然見つけた古い魔法書に、生活魔法ではない術式や理論が記されているのを知りながら、その本を読んでしまったのだ。
 あとから本を読む姿を咎められ、ミスリアは父親にひどく叱責された。

『女のくせに、余計なことを学ぼうとするな』

 それでも、あの魔法書に書かれていた未知なる知識は、ミスリアの興味心を一気に掻き立ててしまった。
 それからは人目を盗み、こっそり祖母の屋敷にある魔法書を読みに行った。
 実際に使えない魔法でも、その仕組みや、生活魔法と異なる種類の魔法一覧を見るだけでも、胸が躍るように楽しかった。

(なぜ、知識をつけるのもダメなのだろう。知識をつければ、将来もっとサポートがしやすくなるかもしれないのに)

 幼かったミスリアは、本気でそう思っていた。だが、大人になってから知ることになる。魔法という面で女が男に口出しをする行い自体が、禁忌なのだと。
 ……そのうち、祖母がミスリアが魔法書を読んでいるのに気づいたのか、その本は処分されていた。
 けれど、ミスリアは本で見た先に広がる魔法の世界に、少しばかり夢を抱いてしまった。使えなくとも、学べば理解できると知ってしまったからだ。そして、いつか好きなだけ魔法を使ってみたいと思うようになった。
 魔法の才に恵まれていたからこそ、魔法への興味が人一倍強かったのかもしれない。
 ミスリアは、生活魔法と呼ばれる分野のすべてを得意とする。
 一種類や二種類しか扱えない者も多い中、ミスリアは女性魔法使いの中では、エリートと呼ぶに相応しかった。
 だからこそ――十五歳にして、二歳年上の王太子、ロベルト・アルファーノを支える存在として選ばれた。
 王家アルファーノの血を引くロベルトは、五属性すべての魔法を扱えた。
 魔法に愛された彼は、王太子という肩書以上の将来を約束された存在だった。

『国の未来のために、王太子にその身を捧げなさい』

ロベルトの婚約者となったミスリアは、周囲からのその言葉を疑わなかった。女は男を支えるもの――それが、この国で生きる義務だと思っていたからだ。
 そして、ミスリアと婚約して間もなくのこと、ロベルトが辺境地に出張へ向かうこととなった。

『ミスリア、加護の儀式は知っているな?』
『はい。もちろんです』

 加護の儀式とは、女性が戦場や出張へ向かうパートナーに自らの魔力を分け与えることで、相手の魔力を僅かに底上げする――そういった意味合いのある儀式だった。属性は問われず、魔力を持っている女性なら誰でも行えるものだ。
 だが実際のところ、それが戦況を左右するほどの力になることはない。女性の魔力は微量にすぎず、加護とは名ばかりである。
 せいぜい無事を願う祈りや、気休めのお守りのようなもの。それでも〝妻が夫に捧げるもの〟として、この儀式はエルシオンで大事に受け継がれてきた習わしという。
 婚約関係であっても、加護の儀式は行われる。
 この日は、ミスリアは生まれて初めて、加護の儀式を実践した。

『ロベルト様のご武運と無事を願って』

 向かい合い、右手をかざし、ロベルトの利き手に魔力を捧げる。虹色の光がぽわっと浮かんで、彼の手の中に吸い込まれるようにして消えた。
 女性は戦えないけれど、この儀式によって、まるで自分の想いも一緒に連れて行ってもらえるみたいで、ミスリアはなんだか嬉しかった。

『こんなのを、なぜ毎回やるんだろうな。大した力でもないのに』

 ロベルトは、こんなものは無意味だと嘲笑していた。きっとほとんどの男性が同じように思っているだろう。
 それでも、加護の儀式は女性にとって特別な意味を持つと言われている。なぜならこれは、自分の一部を相手に授け、『あなたを支える』と決めた覚悟の証だからだ。
男たちは軽んじるが、女たちにとっては誇りだった。
 支える相手がいるということは、選び、選ばれた証でもあるからだ。
 そうして出張に行ったロベルトだったが……ここで奇跡が起こる。
 なんと彼が〝特異魔法〟に目覚めたという報せが入ったのだ。
 特異魔法とは、いずれの系統にも属さない、選ばれし者のみに与えられる力。神から授けられた特別なギフトとも称される魔法である。
 ロベルトの特異は、一定時間、魔法の威力を何倍にも引き上げることができる〝ブースト〟といわれるものだった。
この世界には、人間を襲う魔物が存在し、彼らは瘴気と呼ばれる亀裂から発生しては時に村や街を脅かす。
 ロベルトは出張先で魔物に遭遇した際、その特異に目覚めたと言う。

『これまで五発は攻撃が必要だった魔物を、俺が一撃で倒した! すごいだろう、ミスリア!』
『やはり俺は、選ばれし人間だ!』

 彼はそう豪語し、事実――その通りだった。
 それからのロベルトは特異魔法を使って、どんどん活躍していった。
 ロベルトが前線に立てば、魔物討伐は瞬く間に終わる。しかも彼ひとりで事足りてしまうことがほとんどだ。
 エルシオンでは、男性が表舞台で功績を上げれば高く評価される。それでも、若き王太子自らが前線に立ち、積極的に魔物を討つ例は珍しかった。
 ロベルトの存在は瞬く間に国民の支持を集め、彼が戦場に立つだけで士気は高まり、国民も魔物の恐怖に晒されなくなった。
 ――時が経ち、彼はあっという間に英雄への道を駆け上がって行った。
 誰の目から見ても、完全無欠の王太子。ミスリアはいつも、同性から嫉妬を向けられる対象となる。
『いいわよね……あんな素晴らしい殿方と結婚できるなんて』
 羨ましい。妬ましい。何度もそう言われたが――ミスリアは近くにいるからこそ知っていた。ロベルトが実は、そんなに完璧な人ではないということを。
 魔法と見た目だけで言えば、たしかに群を抜いて長けている。
 背は高く、スラッとした抜群のスタイル。艶やかな黒髪はいつもきっちりセットされており、金色の瞳は彼の自信を宿したように、常に光を放っていた。
 だがその見た目の美しさとは裏腹に……部屋は散らかり放題で、書類は誤字だらけで字も汚い。細かい作業なんかは大の苦手で、簡単な事務処理すらよく間違える。
 両親や家庭教師が魔力だけを見て、甘やかした結果だろうか。けれど、それを欠点だと指摘する者はいなかった。……ミスリアも含めて。

『そうした穴を埋めるのが、パートナーの役目だ』

 そう周囲から教え込まれてきたミスリアは、彼の代わりに書類を整え、生活を支え、細かな仕事を引き受け続けた。それが次期王太子妃としての務めであり、当然の役割だと信じていたからだ。

『ミスリア。君のおかげで仕事がはかどるよ』

 大してほとんど仕事もしていないのに、自分がやった感を出すのもいつものこと。
 ミスリアは彼の眠りやすい暗さに照明を整えながら、ただ微笑みを返すだけ。
 ……それでも、ロベルトを人として尊敬していた。
 共に過ごした日々が長く濃いほど、自然と相手に情が湧いてしまう。
 それに彼の魔法はたしかにすごかったし、国民に信頼されている姿も、尊敬に値した。

『君は美しいな。結婚して子供を産んだら、どんなに綺麗な子が生まれるだろうか』

 大人になっていくにつれて、ミスリアの長い金色の髪を撫でながら、よくそんなことも言っていた。どれだけ頑張っても、褒められるのは見た目だけだ。
 それでも、ミスリアが二十歳になり無事に結婚した時は、嬉しかった。
 国民から祝福され――これからも旦那を立て、支え続けようと誓った。それがきっと、国の、ロベルトの、家族の……そして自分の幸せに繋がると信じていた。
 結婚後も、ロベルトは戦場では英雄だったが、それ以外は変わらなかった。
 魔物討伐後の記録作成すら「あとで頼む」の一言でミスリアに押しつける。それは本来、討伐者本人の義務だったが、現場に立てないミスリアが、彼の曖昧な説明と魔物図鑑を照らし合わせながら代筆していた。

(旦那様のこんな怠けた姿を、世間に知られてはならない)

 表向きのイメージを壊さないために、ミスリアもまた、完璧なサポートを必要とされた。
 この国に生まれ、王太子妃になった以上、自分の役目を果たそう。
 それだけを考えて頑張っていたが……結婚して三年が経っても、ミスリアは世継ぎを設けることだけができなかった。
 そもそも営みもロベルト中心で、自分のタイミングではなにも言えない。彼は子供を欲しがる割に、協力的でなかった。
 でも、子供ができないのはミスリアのせいだと、周囲からは苦言を呈される。
 次第にロベルトに任される仕事量も増え、加えて妊娠へのプレッシャーに、ミスリアは精神的にも参っていた。
 ――そんなミスリアを励ましてくれたのが、王宮御用達の薬師であるセリーナだった。
 ライトピンクのふわふわした髪に、赤くて丸い瞳。笑顔のかわいらしい彼女の年齢は、ミスリアよりひとつ年下だ。

『ミスリア様、母から妊娠しやすくなるスープのレシピを聞いてきました』
『ストレスを抱え込むとよくありません。薬を必要としない時でも、いつでも私を呼び出してくださって構いません。ミスリア様のお役に立てるなら、喜んで駆けつけます』

 彼女はいつだって、不安に押しつぶされそうなミスリアの話を親身に聞いてくれた。アドバイスもたくさんしてくれて、まるで、妹のような存在だった。
 医学の知識もあるセリーナの協力のもと、妊活を一生懸命頑張ったが……なにを試してもうまくいかない。
 ロベルトはなかなか身籠らないミスリアに、次第に態度を変えるようになった。
 夫婦関係は急速に冷え込み、いつしか交わす会話も少なくなり、それどころか――。

『俺が悪く言われるのは、妊娠できない君のせいだ』

 と言われてしまった。
 努力をしていたからこそ、責められるのは物凄く苦しい。でも……。

(……身籠ることができない、私が悪いんだわ)

 ミスリアもまた、最終的には自分を責めた。国王も、王妃も、王宮の使用人たちも、ミスリアの家族だってそうしたからだ。
 ……唯一慰めてくれたのは、同性のセリーナだけだったのに。

 彼女は、自分を裏切っていた――。
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