〝都合のいい妻〟をやめさせていただきます。
都合のいい関係
「ロベルト様がお怪我を!?」
仕事を一段落終えて、気晴らしに夜風にでも当たろうしていると、回廊でそんな声が聞こえてきた。
「そんな……どうして……ロベルト様の容態は!?」
「大きな怪我ではございませんので大丈夫です。落ち着いてください。セリーナ様」
伝令に詰め寄るセリーナを、ほかの兵士たち全員で宥めている。セリーナは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
(旦那様が怪我をしたのに、正妻ではなく愛人に先に報告するなんて、これも旦那様の指示?)
そんな私情を挟む判断を下している時点で、大した怪我ではないだろう。
しかし、聞いてしまった以上無視もできず、ミスリアもその輪にすっと入っていく。
「旦那様が怪我をされたと聞こえましたが、辺境地に出た魔物は、そんなに手強い魔物だったのですか?」
「あ……王太子妃殿下……! いえ、中級くらいの魔物で、普段のロベルト殿下でしたら、なんの問題もなく倒せる相手だと思います」
「では、どうしてそんな魔物を相手に旦那様が怪我を?」
「今回は天候も悪く、足場が悪かったのでそれも影響しているかもしれません。あと、数もそれなりにいたようで……」
(……だとしても、こっちも結構な数の兵士を連れていっているはず。調子が悪かったのかしら)
ロベルトが魔物討伐で怪我をするなんて、婚約初期に僅かにあったくらいで、それからはほとんどなかった。
しかも、あの頃と違い今は経験も積んでいる。さらに詳しく聞くと、魔物も以前倒したことのある相手……。あまりに珍しい出来事に、ミスリアはその場で考え込んだ。
「旦那様に、いつもと違うところはありましたか?」
「報告によると、魔法がうまくいかなかったと聞いております」
「……魔法が? 旦那様でも、魔法を失敗するなんてことがあるの?」
純粋に疑問だった。
魔法と見た目以外はポンコツであっても、そのふたつ……特に魔法に関しては、ミスリアも一度だって心配したことはない。
(それこそ特異のブーストを使えば、中級魔物に攻撃される隙すらないはずよね……?)
頭の中でぐるぐるとそんな考えを巡らせていると、なんとなく嫌な視線を感じて顔を上げ
すると、ミスリアより頭ひとつぶん背の低いセリーナが、こちらをキッと睨みつけていた。
「ミスリア様は正妻の身でありながら、ロベルト様をまったくご心配なさらないのですね……!」
セリーナの声は、わざとらしいほど大きくこの場に響く。
「魔物の種類とか、魔法の失敗とか……そんなの、今はどうでもいいのではありませんか? ご無事を祈るほうが、よほど大切です! 私には信じられません!」
「心配はしているわ。それに、どうでもよくもないの。同じことを繰り返さないよう、分析もある程度は必要よ」
「いいえ! そもそも夫が戦場に出ているのに、仕事ばかりして……! 本当に心配しているなら、無事を祈って仕事なんて手につかないはずです!」
(……なるほど。そういう見せ方をするのね)
ミスリアは、内心で小さく息を吐いた。
今の言葉は、事情を知らない者にとっては正論に聞こえる可能性がある。
兵士も、使用人も、ロベルトがどれほどの仕事を日常的にミスリアへ押し付けているのかを知らない。なんせそれを隠してきたのは、ほかでもないミスリア自身だった。
(夫の面子を守るためにした行為が、こうして首を絞める結果になるとは思わなかったわ)
セリーナの言葉ひとつで、夜遅くまで部屋に籠もっていたミスリアの姿は、冷たく情のない正妻として映ってしまう。
ましてや、セリーナはミスリアに任された仕事量も知っているはず。
それでもこの場でこんな発言をするのには、どうにも悪意があるようにしか思えなかった。
(彼女はなにが不満なのかしら……もう、私から奪うものなんてなにもないじゃない)
現に、この場にいる者たちはみんなセリーナを慰めている。
ミスリアは夜風にあたるのを諦めて、黙ってひとり部屋へと戻った。
ロベルトの不調は、それからしばらく経っても治らなかった。
中級魔物の討伐で思うように戦えず、一度は辺境地から王宮へ引き返す。態勢を整えて再出陣したものの――結果は同じだった。
「なんでかわからないが……ブーストを起こせないんだ。最近いろいろあって疲労が溜まっているせいで、特異魔法に体がついていかないのかもしれない」
「まぁ、可哀想なロベルト様。しばらくは王宮でゆっくり休まれてはどうですか? 騎士や兵士たちでも、魔物は倒せますよね?」
「……そうだな。これまでの俺の戦績を考えれば、一度の不調くらいなんてことはない。今回はほかのやつらに譲ってやろう」
あくまで余裕の上から目線で、ロベルトはソファで足を組んでいる。
ミスリアはまた存在感を消して、執務室に山積みになっている書類をひとりでまとめながらその会話を聞いていた。
――王令で魔物討伐に向かうのは、本来であれば近衛騎士団や、それに準ずる精鋭たち。
兵士よりも騎士のほうが、実力も経験も上……それでも、ロベルトが連れて行くのは、いつも兵士ばかりだった。
それは、よりロベルトの戦力を見せつけるために、彼自身がわざと力のある騎士を避けていたのだろう――なんて、ミスリアは勝手に推測していたりする。
(……でも、本当にこの調子で大丈夫なのかしら)
ここまで不調が続くのは初めてで、このまま見過ごしておけば、損をするのはロベルトだ。魔物の討伐に時間がかかれば、国の安全保障にも大きく関わる。
そもそも魔物を発生させる瘴気というのは、その地に住む人々の負の感情が生み出すと言われている。
そのため平和な国や、不満が少ない場所に魔物は出現しない。負の感情が集まり大きくなれば、その感情が魔物を呼び起こしてしまう。
(エルシオンでは旦那様という英雄の絶対的存在があったから、近年では王都に魔物がは出ていない)
それでも、人の感情が常に前向きでいられるはずがない。その場所に住み着く人々がいる限り、瘴気が発生する可能性はどこにだってある。
(もし王都に出れば、すっかり平和ボケしている貴族たちはパニックになるわ)
そうなる前に、なんとかロベルトの不調を解決しなければならない。
当の本人がなぜか余裕ぶっているが、これは国にとって一大事だ。
ミスリアは、国を守るのも王太子妃の仕事だと覚悟を決めて、ロベルトに声をかける。
「あの、旦那様、少しふたりでお話がしたいのですが……」
「話? なんだ」
「国に――いえ、旦那様の今後に関わる大事なお話です。申し訳ありませんが、一度、セリーナは退室していただけますか?」
彼女がいると口を挟まれて、うまく話が進まない気がした。特に深い意味はなかったが、席を外してもらえるなら、そのほうが有難かった。
「えぇ? どうしてですか? 私がいたっていいですよね。そんなこと言って、旦那様をひとりじめしたいだけじゃ……」
「セリーナ」
べたべたとロベルトに擦り寄りながら、敵意を剥き出しにしてくるセリーナを、ロベルトが制止する。
「すまない。少しだけだ」
「え、でも……」
「俺の言うことが聞けないのか」
「い、いえ……ロベルト様がそう言うなら……」
まさか、追い出されるとは思わなかったのだろう。
セリーナは驚きを隠せない表情を浮かべていた。そして、次に不満を丸出しにして、嫌々とその場から去って行く。
ロベルトも、自分の今後と言われれば気になったのだろう。もちろんミスリアはその思考を読んで、ああいう言い方をした。
「なんだ? 手短に言え」
ソファでふんぞり返ったまま、ロベルトはミスリアをじっと見上げる。
言いづらいことではあったが、ミスリアは僅かに震える口を開いた。
「旦那様。近頃、魔法の不調が続いていると……」
ミスリアは視線を伏せたまま、静かに切り出した。
「君までその話か。どこへ行ってもそればかりだ。煩わしい」
ロベルトは眉をひそめ、露骨に不機嫌そうな声を出す。だがミスリアは、そこで引き下がることはできない。
「不敬を承知で申し上げますが……もう少し、きちんと不調と向き合ったほうがよろしいかと思われます。なにか大きな理由があるかもしれません。このままの状態が続けば、絶対的であった旦那様の評価にも影響してしまいます」
「そんなことはわかっている。だが、どう向き合えばいい。理由なんてさっぱり不明だ。そこまで言うなら君が考えてみろ。俺の魔法の調子を戻すにはどうしたらいい? ここまで言って来たなら、少しくらい考えはあるんだろうな?」
(清々しいくらいの責任転換ね……)
ミスリアは静かに考え込む。
とはいっても、なかなかすぐは出てこない。単純に最近、魔法の訓練自体を怠っているのは知っていたが、特異がまったく発動しなくなるのとは直結しないだろう。
以前のロベルトと、最近のロベルトに関する大きな変化があったとしたら――。
(……ありえないとは思うけれど)
思い当たることが、ひとつだけあった。
それは、加護の儀式だ。
(思い返してみると、婚約初期に似たようなことが何回かあった)
婚約時、ミスリアはまだ実家の侯爵家に住んでいた。そのため緊急時の出陣となれば、加護の儀式を行えない場合もある。
そして決まってその時は、ロベルトの特異がうまく発動しなかったと聞いた。
体調や魔物との相性もある。周囲も、まだ特異に目覚めたばかりのロベルトに「こんな日もあるだろう」と、特に気にしていなかった。
ミスリアはふと、その出来事を思い出したのだ。
「……たとえば、加護の相性がよくない、とか……?」
そして、静かに呟いた。
「……加護?」
その瞬間、ロベルトの目の色が変わった。
鋭い視線に喉がひりつくのを感じながら、ミスリアは慌てて言葉を重ねる。
「もちろん、私の加護が特別だという意味ではありません。ただ……相性の問題もあるのではないかと。セリーナの加護を受けるようになってから、旦那様は特異を発動できておりません。変わったことといえば、それくらいしか……」
ロベルトの反応を窺いながら、ミスリアは続ける。
可能性はゼロに近くとも、なんとか探り出したその可能性を試してみるしか、今は方法がないと思った。
「よろしければもう一度、私に加護の儀式をさせてくださいませんか。それで、様子を見てほしいのです。旦那様がこれまで通り魔物を討伐できれば、国民も安心します。きっと喜ぶはずです」
「……」
僅かな静寂が執務室を包んだあと、ロベルトは勢いよく立ち上がった。そして目の前までゆっくりこちらへ歩み寄ると、ミスリアをじっと見下ろす。
「――思い上がるな」
氷のような、冷たい声が響く。
「加護なんて、誰にもらっても同じだ。俺の魔法の強さに、君が影響しているとでも言いたいのか? 図々しいにもほどがある。女が特別な力を持つなどあり得ない。……この国できちんとした教育を受けていながら、そんなふうに考えていたとは驚きだな」
「そういうつもりで言ったわけでは……!」
「俺の強さは俺だけの力で成り立っている。二度とそんなくだらない戯言をほざくな」
言ってはならないことを言ってしまった。ロベルトの逆鱗に触れてからでは、もう遅い。
ミスリアは口を固く結び、なにも返事をしなかった。
「ロベルト様、もう話は終わりましたか?」
しびれを切らしたセリーナが、ノックもせずに執務室の扉を開けた。
不穏な空気をさすがに察したようで、セリーナはにやりと笑みを浮かべる。
「……どうかしましたか? ロベルト様、眉間に皺が寄っていますよ」
「ああ、とても不快な時間だった。……どうやら彼女は、俺の不調をセリーナの加護のせいだと考えているようだ」
右手で呆れたように額をおさえ、左手でセリーナの腰を抱き、ロベルトは言った。
「なんですかそれ……ひどいです! ミスリア様……!」
甲高い声を上げ、セリーナがキッとこちらを睨みつける。
「セリーナが儀式を担当してから不調になったと、だから自分に儀式をやらせろと、そう言ってきた。女のくせに身の程知らずもいいところだ」
「そんなことを……。ミスリア様、自分が人前で加護の儀式ができなくなったから、私に矛先を向けてきたんですね?」
「違うわ……そういうつもりじゃ……」
セリーナは目に涙を浮かべて、ロベルトの胸に顔を埋めた。
「もういい。さっさと出て行け。君がいると不愉快だ」
自分を蔑む、四つの目。
ミスリアは震える拳をぎゅっと握って、執務室をあとにした。
仕事を一段落終えて、気晴らしに夜風にでも当たろうしていると、回廊でそんな声が聞こえてきた。
「そんな……どうして……ロベルト様の容態は!?」
「大きな怪我ではございませんので大丈夫です。落ち着いてください。セリーナ様」
伝令に詰め寄るセリーナを、ほかの兵士たち全員で宥めている。セリーナは今にも泣きそうな表情を浮かべていた。
(旦那様が怪我をしたのに、正妻ではなく愛人に先に報告するなんて、これも旦那様の指示?)
そんな私情を挟む判断を下している時点で、大した怪我ではないだろう。
しかし、聞いてしまった以上無視もできず、ミスリアもその輪にすっと入っていく。
「旦那様が怪我をされたと聞こえましたが、辺境地に出た魔物は、そんなに手強い魔物だったのですか?」
「あ……王太子妃殿下……! いえ、中級くらいの魔物で、普段のロベルト殿下でしたら、なんの問題もなく倒せる相手だと思います」
「では、どうしてそんな魔物を相手に旦那様が怪我を?」
「今回は天候も悪く、足場が悪かったのでそれも影響しているかもしれません。あと、数もそれなりにいたようで……」
(……だとしても、こっちも結構な数の兵士を連れていっているはず。調子が悪かったのかしら)
ロベルトが魔物討伐で怪我をするなんて、婚約初期に僅かにあったくらいで、それからはほとんどなかった。
しかも、あの頃と違い今は経験も積んでいる。さらに詳しく聞くと、魔物も以前倒したことのある相手……。あまりに珍しい出来事に、ミスリアはその場で考え込んだ。
「旦那様に、いつもと違うところはありましたか?」
「報告によると、魔法がうまくいかなかったと聞いております」
「……魔法が? 旦那様でも、魔法を失敗するなんてことがあるの?」
純粋に疑問だった。
魔法と見た目以外はポンコツであっても、そのふたつ……特に魔法に関しては、ミスリアも一度だって心配したことはない。
(それこそ特異のブーストを使えば、中級魔物に攻撃される隙すらないはずよね……?)
頭の中でぐるぐるとそんな考えを巡らせていると、なんとなく嫌な視線を感じて顔を上げ
すると、ミスリアより頭ひとつぶん背の低いセリーナが、こちらをキッと睨みつけていた。
「ミスリア様は正妻の身でありながら、ロベルト様をまったくご心配なさらないのですね……!」
セリーナの声は、わざとらしいほど大きくこの場に響く。
「魔物の種類とか、魔法の失敗とか……そんなの、今はどうでもいいのではありませんか? ご無事を祈るほうが、よほど大切です! 私には信じられません!」
「心配はしているわ。それに、どうでもよくもないの。同じことを繰り返さないよう、分析もある程度は必要よ」
「いいえ! そもそも夫が戦場に出ているのに、仕事ばかりして……! 本当に心配しているなら、無事を祈って仕事なんて手につかないはずです!」
(……なるほど。そういう見せ方をするのね)
ミスリアは、内心で小さく息を吐いた。
今の言葉は、事情を知らない者にとっては正論に聞こえる可能性がある。
兵士も、使用人も、ロベルトがどれほどの仕事を日常的にミスリアへ押し付けているのかを知らない。なんせそれを隠してきたのは、ほかでもないミスリア自身だった。
(夫の面子を守るためにした行為が、こうして首を絞める結果になるとは思わなかったわ)
セリーナの言葉ひとつで、夜遅くまで部屋に籠もっていたミスリアの姿は、冷たく情のない正妻として映ってしまう。
ましてや、セリーナはミスリアに任された仕事量も知っているはず。
それでもこの場でこんな発言をするのには、どうにも悪意があるようにしか思えなかった。
(彼女はなにが不満なのかしら……もう、私から奪うものなんてなにもないじゃない)
現に、この場にいる者たちはみんなセリーナを慰めている。
ミスリアは夜風にあたるのを諦めて、黙ってひとり部屋へと戻った。
ロベルトの不調は、それからしばらく経っても治らなかった。
中級魔物の討伐で思うように戦えず、一度は辺境地から王宮へ引き返す。態勢を整えて再出陣したものの――結果は同じだった。
「なんでかわからないが……ブーストを起こせないんだ。最近いろいろあって疲労が溜まっているせいで、特異魔法に体がついていかないのかもしれない」
「まぁ、可哀想なロベルト様。しばらくは王宮でゆっくり休まれてはどうですか? 騎士や兵士たちでも、魔物は倒せますよね?」
「……そうだな。これまでの俺の戦績を考えれば、一度の不調くらいなんてことはない。今回はほかのやつらに譲ってやろう」
あくまで余裕の上から目線で、ロベルトはソファで足を組んでいる。
ミスリアはまた存在感を消して、執務室に山積みになっている書類をひとりでまとめながらその会話を聞いていた。
――王令で魔物討伐に向かうのは、本来であれば近衛騎士団や、それに準ずる精鋭たち。
兵士よりも騎士のほうが、実力も経験も上……それでも、ロベルトが連れて行くのは、いつも兵士ばかりだった。
それは、よりロベルトの戦力を見せつけるために、彼自身がわざと力のある騎士を避けていたのだろう――なんて、ミスリアは勝手に推測していたりする。
(……でも、本当にこの調子で大丈夫なのかしら)
ここまで不調が続くのは初めてで、このまま見過ごしておけば、損をするのはロベルトだ。魔物の討伐に時間がかかれば、国の安全保障にも大きく関わる。
そもそも魔物を発生させる瘴気というのは、その地に住む人々の負の感情が生み出すと言われている。
そのため平和な国や、不満が少ない場所に魔物は出現しない。負の感情が集まり大きくなれば、その感情が魔物を呼び起こしてしまう。
(エルシオンでは旦那様という英雄の絶対的存在があったから、近年では王都に魔物がは出ていない)
それでも、人の感情が常に前向きでいられるはずがない。その場所に住み着く人々がいる限り、瘴気が発生する可能性はどこにだってある。
(もし王都に出れば、すっかり平和ボケしている貴族たちはパニックになるわ)
そうなる前に、なんとかロベルトの不調を解決しなければならない。
当の本人がなぜか余裕ぶっているが、これは国にとって一大事だ。
ミスリアは、国を守るのも王太子妃の仕事だと覚悟を決めて、ロベルトに声をかける。
「あの、旦那様、少しふたりでお話がしたいのですが……」
「話? なんだ」
「国に――いえ、旦那様の今後に関わる大事なお話です。申し訳ありませんが、一度、セリーナは退室していただけますか?」
彼女がいると口を挟まれて、うまく話が進まない気がした。特に深い意味はなかったが、席を外してもらえるなら、そのほうが有難かった。
「えぇ? どうしてですか? 私がいたっていいですよね。そんなこと言って、旦那様をひとりじめしたいだけじゃ……」
「セリーナ」
べたべたとロベルトに擦り寄りながら、敵意を剥き出しにしてくるセリーナを、ロベルトが制止する。
「すまない。少しだけだ」
「え、でも……」
「俺の言うことが聞けないのか」
「い、いえ……ロベルト様がそう言うなら……」
まさか、追い出されるとは思わなかったのだろう。
セリーナは驚きを隠せない表情を浮かべていた。そして、次に不満を丸出しにして、嫌々とその場から去って行く。
ロベルトも、自分の今後と言われれば気になったのだろう。もちろんミスリアはその思考を読んで、ああいう言い方をした。
「なんだ? 手短に言え」
ソファでふんぞり返ったまま、ロベルトはミスリアをじっと見上げる。
言いづらいことではあったが、ミスリアは僅かに震える口を開いた。
「旦那様。近頃、魔法の不調が続いていると……」
ミスリアは視線を伏せたまま、静かに切り出した。
「君までその話か。どこへ行ってもそればかりだ。煩わしい」
ロベルトは眉をひそめ、露骨に不機嫌そうな声を出す。だがミスリアは、そこで引き下がることはできない。
「不敬を承知で申し上げますが……もう少し、きちんと不調と向き合ったほうがよろしいかと思われます。なにか大きな理由があるかもしれません。このままの状態が続けば、絶対的であった旦那様の評価にも影響してしまいます」
「そんなことはわかっている。だが、どう向き合えばいい。理由なんてさっぱり不明だ。そこまで言うなら君が考えてみろ。俺の魔法の調子を戻すにはどうしたらいい? ここまで言って来たなら、少しくらい考えはあるんだろうな?」
(清々しいくらいの責任転換ね……)
ミスリアは静かに考え込む。
とはいっても、なかなかすぐは出てこない。単純に最近、魔法の訓練自体を怠っているのは知っていたが、特異がまったく発動しなくなるのとは直結しないだろう。
以前のロベルトと、最近のロベルトに関する大きな変化があったとしたら――。
(……ありえないとは思うけれど)
思い当たることが、ひとつだけあった。
それは、加護の儀式だ。
(思い返してみると、婚約初期に似たようなことが何回かあった)
婚約時、ミスリアはまだ実家の侯爵家に住んでいた。そのため緊急時の出陣となれば、加護の儀式を行えない場合もある。
そして決まってその時は、ロベルトの特異がうまく発動しなかったと聞いた。
体調や魔物との相性もある。周囲も、まだ特異に目覚めたばかりのロベルトに「こんな日もあるだろう」と、特に気にしていなかった。
ミスリアはふと、その出来事を思い出したのだ。
「……たとえば、加護の相性がよくない、とか……?」
そして、静かに呟いた。
「……加護?」
その瞬間、ロベルトの目の色が変わった。
鋭い視線に喉がひりつくのを感じながら、ミスリアは慌てて言葉を重ねる。
「もちろん、私の加護が特別だという意味ではありません。ただ……相性の問題もあるのではないかと。セリーナの加護を受けるようになってから、旦那様は特異を発動できておりません。変わったことといえば、それくらいしか……」
ロベルトの反応を窺いながら、ミスリアは続ける。
可能性はゼロに近くとも、なんとか探り出したその可能性を試してみるしか、今は方法がないと思った。
「よろしければもう一度、私に加護の儀式をさせてくださいませんか。それで、様子を見てほしいのです。旦那様がこれまで通り魔物を討伐できれば、国民も安心します。きっと喜ぶはずです」
「……」
僅かな静寂が執務室を包んだあと、ロベルトは勢いよく立ち上がった。そして目の前までゆっくりこちらへ歩み寄ると、ミスリアをじっと見下ろす。
「――思い上がるな」
氷のような、冷たい声が響く。
「加護なんて、誰にもらっても同じだ。俺の魔法の強さに、君が影響しているとでも言いたいのか? 図々しいにもほどがある。女が特別な力を持つなどあり得ない。……この国できちんとした教育を受けていながら、そんなふうに考えていたとは驚きだな」
「そういうつもりで言ったわけでは……!」
「俺の強さは俺だけの力で成り立っている。二度とそんなくだらない戯言をほざくな」
言ってはならないことを言ってしまった。ロベルトの逆鱗に触れてからでは、もう遅い。
ミスリアは口を固く結び、なにも返事をしなかった。
「ロベルト様、もう話は終わりましたか?」
しびれを切らしたセリーナが、ノックもせずに執務室の扉を開けた。
不穏な空気をさすがに察したようで、セリーナはにやりと笑みを浮かべる。
「……どうかしましたか? ロベルト様、眉間に皺が寄っていますよ」
「ああ、とても不快な時間だった。……どうやら彼女は、俺の不調をセリーナの加護のせいだと考えているようだ」
右手で呆れたように額をおさえ、左手でセリーナの腰を抱き、ロベルトは言った。
「なんですかそれ……ひどいです! ミスリア様……!」
甲高い声を上げ、セリーナがキッとこちらを睨みつける。
「セリーナが儀式を担当してから不調になったと、だから自分に儀式をやらせろと、そう言ってきた。女のくせに身の程知らずもいいところだ」
「そんなことを……。ミスリア様、自分が人前で加護の儀式ができなくなったから、私に矛先を向けてきたんですね?」
「違うわ……そういうつもりじゃ……」
セリーナは目に涙を浮かべて、ロベルトの胸に顔を埋めた。
「もういい。さっさと出て行け。君がいると不愉快だ」
自分を蔑む、四つの目。
ミスリアは震える拳をぎゅっと握って、執務室をあとにした。