顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

 少し目を伏せ、気持ちを切り替えたところで、再び入口のベルが鳴った。

 音のした方向に目を向けたその時、店内に踏み込んできたのは、フードを目深に被った長身の青年だった。
 なぜだろう。他の人と変わらない地味な風貌。顔だって見えないのに、妙に目を引く。

 ドアを閉めるなり、その青年はフードを外し、ふうと息を吐く。
 歳は二十代前半くらいだろうか。濡れ羽色の髪を掻き上げる仕草が、妙に洗練されている。整った目鼻立ちに、きめ細やかな白い肌。そして、伏せていた瞼が上がった瞬間、カティアは息を呑んだ。

 ラピスラズリ。深く澄んだ瑠璃色の瞳が、静かに煌めいている。まるで深い夜空に輝く星の様で、なんとも幻想的に見えた。
 貴族の令息が街人の衣装を着て、お忍びで来ているような。言ってしまえば、自分と近い匂いを感じる。
 直感で、関わらないようにしないとと身構えたけれど、それも青年が声を出すまでだ。

「マスター! ヤケ酒だ。記憶飛ぶくらい強いヤツ、一杯頼む」

 へらっと笑ったその顔は、先の印象をあっさり裏切った。
 端正な顔立ちが台無しになるほど、人なつっこい笑みだ。あの瑠璃色の瞳は変わらず綺麗で、幻想的とすら感じたのに、人好きのする笑顔と雰囲気に一気に興味が惹かれる。

(……貴族、かと思ったけれど)

 こんな場末の酒場にふらりと現れるには、あまりにも場違いな美貌だった。けれど、慣れた様子で他の客に挨拶しながら、カウンター席に向かってくる様子、常連に違いない。

 たまたま今までカティアが会ったことがなかっただけで、周囲の皆とも顔見知りの様子だ。
 マスターも慣れた様子で、深い琥珀色の酒を彼の前に差しだした。それがカティアの隣の席だったものだから、青年も躊躇なくそこに腰掛ける。

「ありがと。今日はとことん呑みたい気分なんだ。――ちょっと君、乾杯付き合って」

 ごく自然に声をかけられ、カティアも考える前にグラスを取っている。カチン、とグラスを鳴らすと、青年はくいっと少なくない量の酒を一気に煽った。

(えっ? それ、すごく強いやつじゃ)

 隣の席に座っていても、酒精の強さが伝わってくる。プンと香る香りに驚いているうちに、みるみるグラスが空になった。

「マスター……」
「おう、もういっぱいな。これツマミ」
「ん。ありがと」

 カウンターにどさりと突っ伏した青年は、長いため息をついた。
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