顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

 この国では十八で成人とされるのが一般的だが、貴族は学校卒業後にようやく成人だと認められる。
 成人の飲み物はワインが一般的なため、もうすでに晩餐などでは口にしている。自分がそれなりに飲めることも把握できているため、多少酒を入れても大丈夫だろう。

 カティアは、今日が最後だと思っている。イヴとして下町にやって来られるのが。
 婚約式が終われば、カティアの住まいは王城だ。そこから一年、みっちりと妃教育に明け暮れる予定だ。そうなれば、もう自由に外には出られないだろう。
 だからせめて、世話になった人たちとはいい乾杯をしてお別れしたい。

「え!? イヴちゃん成人!? おめでとう!」
「おおい、マスター! イヴちゃんに一杯ついでやってよ! オレの奢りっ」
「うわ! 抜け駆けはズルいぞ! オレも、オレにも奢らせてよっ!」

 周囲の顔なじみ達が一斉に声を上げる。競うようにして注文を入れた結果、カティアの前に次々とグラスが並んでいった。
 さすがのカティアもギョッとしつつ、皆の気持ちが嬉しくて頬を緩める。

(私、この街に育てられたよね……)

 リーヴス侯爵家では教育こそされたけれど、カティアという人間を本格的に形成してくれたのは下町の人々だ。
 右も左もわからなかったカティアに優しく話しかけてくれ、相談に乗ってくれた。少なくない金銭を自分だけの技能で稼げるようになったのも、ここの人たちのおかげだ。

「ふふ、美味しい」

 皆、女性にも呑みやすい軽めの酒を注文してくれたのだろう。フルーティな味わいが喉を潤していく。

 頬を上気させながら、カティアは胸元に手を当てた。
 そこには可愛い刺繍の入った、小さな巾着袋が入っている。カティアの生き方を変えてくれた、特別な守り袋だ。

 巾着袋の中には、カティアが一枚一枚手書きした小さな飾り紙が入っている。そこに加護の力を込めながら、カティアは祈りの言葉を書いていた。
『夢喰』には「悪い夢を喰う力」――身体に巣喰う悪いものを食べて、安らぎを与える力がある。正確には、魔力を安定させる働きがあった。

 父が認めてくれなくとも、カティアはその力を自分自身の――そして、この守り袋を手にした誰かのためにひっそり使うことにした。
 もちろん、『夢喰』のことを大々的に売りにはできない。そのままでは誰も見向きもしなかっただろう。
 だからカティアは、ひとつひとつ色の違う花の刺繍を添えた可愛らしい巾着を仕立て、月ごとの誕生石を一緒に中に入れたのだ。

 若い女の子が胸元に忍ばせたくなるような、小さな幸運のお守り。まるで貴族令嬢が好んで持つような上品な仕上がりで、なぜか心が安らぐのだと、どこに置いてもすぐに売り切れる人気商品になっていた。

 それを真似した商品も流通するようになったが、やはりカティアのものからしか安らぎは得られない。そのことも評判となり、品薄状態が続く人気っぷりだ。

 仕入れや、品を流通させてくれる商人への交渉も全部この下町で覚えた。
 得た金銭は貯蓄に回しつつ、必要な物資を自分の力で揃えてきた。侯爵家の財布に頼らず生きる術を、カティアはここで手に入れたのだ。

 以前、パーティーで商人に話しかけられたというのも、その関係筋だ。侯爵令嬢エルカティアの姿を見て、よく似ているからと声をかけてきた。
 もちろん否定はしたけれども、そのまま商売の話に花が咲いたのだった。
 あれも楽しい時間だった。けれど、もう、この仕事も終わりにしなければならない。

(みんなに、さよならを言わなきゃ)
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