顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
「――――っ!?」
心臓が大きく跳ねたが、カティアはその手を緩めることはない。
暗がりの奥からひとりの男が歩み出てくるも、今はリーヴス侯爵優先だ。一秒でも長く、治療を続けないと。だから、逃げるわけにはいかない。
魔法陣の光に照らされて浮かび上がるその姿。深く刻まれた皺に鋭い眼光。以前にも相まみえたことがある。ルーカス・コル・グレンソン公爵だ。
「肝心の『星の子』がおらぬではないか!!」
その一言で、全てが繋がった。
この転移はグレンソン公爵の差し金だったか。
リーヴス侯爵は、カティアとラピスをこの場所に連れてくるための駒にされたのだ。
咄嗟にラピスを突き放してよかった。下手をすると、あの子もまた、ここへ連れてこられた可能性がある。
大股で近付いてくるグレンソン公爵の瞳は、怒りに満ちていた。
「この役立たずめ!」
そう恫喝し、脚を振りおろす。
(――駄目!)
なにをしようとしているのか、本能で察知したカティアの身体が動く。
次に訪れたのは鈍い衝撃。そして、腹部への激しい痛みだ。
「きゃああああ!」
グレンソン公爵の革靴が、リーヴス侯爵の腹を蹴り上げようとしたのだ。
しかし、その脚はリーヴス侯爵の代わりにカティアの脇腹を打つ。
痛みに悶絶するも、カティアは父への加護を止めなかった。ここでやめては、最悪父は失明する。
「この痴れ者が!」
カティアが庇ったせいで、余計にグレンソン公爵は激昂した。
何度もカティアを足蹴にするが、絶対に譲らなかった。
どれだけ身体が痛んでも、どんな仕打ちを受けても、リーヴス侯爵が傷つく方がもっと嫌だった。
「っ、カティア! やめなさい! カティア!!」
「いいえ!」
カティアはふるふると首を横に振る。リーヴス侯爵に覆いかぶさったまま、絶対に動こうとしない。
今、この瞬間だって加護を緩めることなく、父に力を注ぎ込む。
多少は効果があるのか、リーヴス侯爵が驚く様な顔でカティアを見つめるも、それもわずかの間。彼はすぐにグレンソン公爵へ訴えかけた。
「っ、グレンソン公爵! あなたは娘と孫を救ってくれると! 王城に囚われたふたりを、助け出してくださると仰っていたではないか!?」
え?と、瞬間、カティアは目を丸くする。
「は! あんな話を真に受けたのか! やはりお前は、愚直なだけの愚図だ」
ふたりの言葉に、まさか、と思う。
先ほどのお茶会で見えた、父の不自然な言動。
違和感はあった。まさか――。
(グレンソン公爵に、なにか嘘を吹き込まれていたってこと……!?)
その内容こそ正確にはわからない。けれども、カティアとラピスが不遇な状況にあるとでも言われていたのだろうか。
(それを、お父様が……?)
胸の奥にこみ上げるものがある。
ずっと、この人に愛されたいと思っていた。握ってもらえなかった手を、今、こんな不器用な形で握りかえしてもらえるだなんて。
「愚かな娘に庇ってもらうことしかできぬ愚図を! 信用したのが間違いだった!」
グレンソン公爵が一層足を大きく上げる。
次に来る衝撃に備え、目を閉じたその時だった。
「――閣下」
誰かが、背後から制止する。
「その娘には利用価値がございます。傷はつけぬ方がよろしいかと」
「ちっ」
彼の従者だろうか。一礼しながら止めると、グレンソン公爵が忌々しげに舌打ちをした。
それからカティアたちを見下ろし、苛立ちを吐き捨てる。
「このまま、ここに置いておくわけにはいかぬ。お前のおかげで計画が丸つぶれだ」
それからしばし考え込んだ後、その従者に向かって指示を飛ばした。
「作戦を変更する。リーヴス侯爵は我々が捕らえたということにして、城によく恩を売っておけ。娘の方は――すでに見当たらなかった、とでも報告しろ」
「は」
「ああ、侯爵の喉を潰しておくのも、忘れぬようにな」
さらりととんでもない言葉が聞こえてきて、カティアは目を見開いた。
「さあ、早く娘も連れて行け」
けれど、無情にも男たちがカティアを掴み、強引に引き立てる。
「っ、お父様!」
「カティア!」
必死に手を伸ばした。けれど男たちの力は容赦なく、カティアの身体は暗い地下通路へと引きずり込まれていく。
振り返ることすら許されなかった。
一度外が明るくなったかと思えば、カティアは男たちとともに馬車に放り込まれる。そして馬車は、どこともわからぬ道を走り出した。