顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
(8)皆に祝福されて
――ガラガラと、グレンソン公爵を乗せた馬車が城へと護送されていく。
カティアは風に乱れた髪もそのままに、ただそれを見送っていた。
全部、終わった。
空はどこまでも青く、澄んでいる。
実感があるようなないような不思議な心地で、ずっと遠くなる馬車を見つめていた。
「これで安心して、君とラピスを王家に迎えられるな」
セオが感慨深そうにそう呟いている。
先ほどの威圧感が嘘のように、肩の力が抜け、ふにゃりとした笑顔を見せていた。
「心配しなくていい。あの男を罰する証拠は十分出揃っている」
「そう、なの……?」
「ああ。今回のことだけじゃない。四年前、君に関する記事を書かせたのもあの男だったし、アビゲイルを仕立て上げた証拠も出てきた」
「え?」
「覚えているか? 四年前、君が通っていたあの下町の酒場」
もちろん覚えている。こくこくと首を縦に振ると、セオが懐かしそうに微笑む。
「アビゲイルは、あそこでの俺と君の会話を知っていた。ずっと奇妙に思っていてな。あの酒場を起点に捜査を広げたところ、アビゲイルの幼馴染みのひとりが、あそこに出入りしていた常連だとわかった」
「そうだったの」
「その男は用途もわからないまま、公爵家に情報を売り渡していたらしい。――酒場の親父さんが謝っていたよ。自分のところの常連が迷惑をかけたって」
「あ……」
あの酒場は、カティアにとって大切な居場所だった。
でもまさか、向こうもカティアを覚えていてくれただなんて。
「また気が向いたら、恋人と来てくれって言われた」
「恋人……」
「次は、飲み潰れないようにしような。お互い」
「――ふふっ」
思わず笑ってしまった。
あの夜の光景が、鮮やかに蘇る。やさぐれた顔でカウンターに突っ伏していたセオ。顔も知らない相手との結婚に嘆き合い、意気投合して杯を重ねて。
まさか、あの隣の席の青年が――今、こうして自分の手を握ってくれているだなんて。
全ては、あの酒場から始まったのだ。
今のカティアがあるのも、セオと出会えたのも、ラピスがこの世に生まれてきてくれたのも、あの場所が、あの夜が、あったからこそ。
懐かしくて、自然と笑みが溢れた。肩を寄せ合っていると、遠くから聞き覚えのある声が飛んでくる。
「陛下ー! いいもん見せてもらいましたよー!」
目を丸くして振り返ると、野次馬の中に懐かしい顔をいくつか見つけた。
「うわ、本当にいた!」
「髪色違うけど、セオにイヴちゃんか!?」
「そういうことだったの!? おめでとう! あ、違っ――おめでとうございます!!」
なんと、あの酒場の常連たちが混じって、こちらに手を振っているではないか。
セオは国王として大立ち回りをしたばかりだというのに、驚くほど気安い。というか、全く空気を読んでいない。あの酒場の空気そのままだ。
皆、セオの本性を知っているからだろう。こういう空気感を一緒に楽しんでくれるとわかっているからこそ。
「ふたりともただ者じゃないって思ってたけど、なるほどね」
「おめでとうー!」
酒場の常連たちの呼びかけから、祝福の声が伝播していく。
声がひとつ、またひとつと重なっていく。気がつけば温かな手拍子の波が広がり、指笛やたくさんの歓声が青空に高く響いていた。
「皆……」