顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
耳元で囁かれた声に、心臓が跳ねた。
「――今、君にキスできないのが残念でならない」
「式の時までとっておいてよ」
「わかっている。わかっているが」
これから結婚式を執り行い、その後はバルコニーに立って国民へのお披露目がある。
なんと、かつての酒場の仲間たちも、ノーラをはじめとしたレイネの街の皆も駆けつけてくれる予定だ。
この四カ月で、カティアを取り巻く環境は大きく変わった。
先日の一件が広まったおかげだろう。リーヴス侯爵家の悪女という噂はすっかり消え去り、「悲劇によって四年も愛する人と引き離された令嬢が、ついにその人と結ばれる。しかも、それがこの国の最高権力者である国王陛下だった!」という、歌劇もびっくりな実話として話題だ。
おかげでカティアを応援する声は日に日に大きくなっており、カティアもそれに応えなければと背筋が伸びる心地だ。
それに乗じて、カティアは『夢喰』の御印を公表した。
おとぎ話のせいで父には誤解された御印だけれど、実際にはこの力が父の目を救い、セオやラピスの身体を癒してきた。
どんな御印にだって、きっと役に立てる場所がある。
もし同じように、よくない逸話を持つ御印を授かって肩身の狭い思いをしている人がいるなら――少しでも、その人の勇気になれたらと思ったのだ。
悪い印象が薄れた分、以前より動きやすくなったのは確かだった。セオに相応しい自分になりたくて、カティアは日々奮闘している。
もっとも、市井で暮らした期間が長かったせいか、気安い庶民派王妃として妙な歓迎のされ方をされているが。それはそれで、ご愛敬ということにしておこう。
「出会った頃から、君は本当に自由で、すぐに俺の手をすり抜けていってしまっていたけれど――」
セオがそっとカティアの手を取り、指を絡める。
「ようやく、捕まえられるんだな」
「それだと私だけがお転婆みたいに聞こえるのだけど?」
「――俺もか」
「ええ、あなたも」
笑い合う。同じくらい自由で、同じくらい無茶で、同じくらい不器用だった。
「案外私たち、お似合いなのかもしれないわね」
自分でそう言えるのが、少し嬉しかった。
セオもふっと笑みを濃くし、声を落とす。
「そんな自由な君に、ひとつ誘いがあるんだが」
そうしてカティアの耳元で、そっと囁きかけた。