顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

(5)サヨナラの夜に


 ――なんとなく、しんみりしてしまって、ふたり並んで店を出た。
 最後の方は、カティアたちを冷やかす声も聞こえなくなっていた。
 これから家に縛られるふたりを、心配するような目で見守ってくれていたとでも言おうか、誰も咎める人はいなかった。


 もうすっかり春だというのに、外の空気は冷えている。地上の明かりに照らされ、星空の見えない空を見上げながら、カティアは息を吐いた。

 寂しい。もっとこの人と話していたい。この夜が終わらなければいいのに。
 お酒もたくさん入っていて、酔っていたのだと思う。感情がぐらぐら、落ち着かない。
 男の人と手を繋いで、分かっていながらも手を離せないでいるだなんて。

「イヴ――」

 ぐいと、握る手に力が込められた。

 抵抗などしない。セオの導くままに、人のいない小径に一歩入る。
 店の明かりも喧噪も届かない暗がり。トンと優しく壁際に追い詰められ、顔を上げる。
 気がつけばセオの腕の中に囚われていた。そうして、彼の顔がゆっくりと近付いてくる。

 多分、振りほどこうと思えばできたと思う。
 セオはカティアに、その選択肢を残してくれていた。
 簡単に逃げられるように。

 でも――。

(一度だけ、恋をしてもいいかな)

 これから先、自分は、自分のために生きることができない。
 ただ、父親の駒として、望まない人と結婚する。そこに自由などなく、カティアは籠の中の鳥となるだろう。
 だからこれは、最初で最後の反抗だ。

「ん――」

 重なった唇は、想像以上に柔らかかった。
 優しい檻の中で与えられた甘美な口づけに酔いしれる。

 深いアルコールの香りが混ざりあい、溶けていく。
 でも、触れるだけでは足りなくて、深く、もっと深くと求めたのはどちらからだったか。
 舌を絡め取り、くちゅりと唾液を交わらせると、もう止まれなかった。彼の与えてくれる熱を求めて、カティアもまた彼の頬に手を伸ばす。

 足りない。キスだけじゃ。
 最後の夜に、この人だと思える男性に出会ってしまった。
 酔っているからか、判断力も鈍っているのかもしれない。本能の赴くまま、カティアは最後の恋を堪能し――。



 ――目を覚ます。
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