顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

(8)名前も知らない君を ※セオ視点


      ◇◇◇

 馬鹿馬鹿しい。
 セオは差し出された釣書の山を、ろくに目を通しもせず机の端に押しやった。

 積み上がった紙束が崩れて数枚が床に散らばるも、それすら拾う気にならない。
 広すぎる執務室に、気後れすることすらもう疲れた。
 諦めの境地とでも言えばいいだろうか。高い天井、金の細工が施された調度品の数々、そして父王が座っていた玉座のごとき椅子。――その全てが、今はセオのものだ。

 セオは王族の証とも言える瑠璃色の瞳を揺らした。そして、青みがかった銀色の髪を掻き上げる。

 セルジュリウス・オルト・イヴォン・シュタルド。セオという愛称は、セルジュリウスとオルト、それぞれの頭文字をとったものだ。
 仰々しい名前の最後には、この王国名が入っている。それが指し示す意味は、王族。

 父王が崩御し、この国の新王として擁立してはや五カ月。そして彼がイヴと出会ってから九カ月という時間が経った頃、セオはもう何度目かわからない深すぎるため息をついた。

 自分が想定した以上に、あまりに早すぎる即位。いや、父王の体調は安定していなかったため、いつだって覚悟はしていた。
 しかし、それでも、のしかかる重責に辟易する。かつてのような自由が突然消え去り、毎日、馬車馬のように働いてばかりだ。
 いや、いつかはこんな日が来るとは思っていたが、気楽な身だった五カ月前との変わりように、自分の立場を思い知らされる。

 二十二歳まで引きこもりの、顔すら公表されていない正体不明の王太子。それがセオだった。
 とはいえ、別にセオ自身が引きこもり体質というわけではない。
 王家にはいくつも理解しがたい面倒な慣習があるが、その最たるものがこれだ。

 この国を継承する王子は、二十歳になるまで王城の外に出てはいけない。正確には、一部の貴族をのぞいて人と会うことも許されず、顔も、名前すら公表されない。
 そうして王城の奥深くで厳重に保護される。
 過保護と称するのも生温いくらいの完全監禁生活を強いられている――と言われている。

 それもこれも、この血に宿る特別な御印を守るためであった。
 この国では、国王のことを『星』、さらに次代の継承者のことを『星の子』と称する。
 それもこれも、王の子は必ずある御印を授かるからだった。

 ――『星』。
 その御印は必ず瞳に宿る。魔力を灯すと瞳に王家の紋章でもある八芒星が現れるのだ。

 御印の中でも『星』の力は絶大で、広範囲に影響があると言われている。『星』が存在するだけで、『星』の周辺の土地は緑豊かになるのだ。
 餓えさせることのない眩しい輝き。絶対的な力は王となる資質でもあるけれども、同時に、危うい輝きでもある。
『星』がいるだけで国を豊かにするのであれば、その存在を攫ってしまえばいい。

 かつて、『星の子』が他国に狙われ、誘拐されたという事件が起こった。
 それ以降、『星の子』は二十歳になるまで、王城の奥深くで丁重に保護をするという決まりができた。

 とはいえ、行きすぎた監禁は心身共に健やかな成長を望めないと危惧されている。ゆえに『星の子』は姿や名前を変えて、お忍びで街に出かける術を教えられるのだ。

 それは、父から子へと受け継がれる、王家だけの秘密の儀式のようなものだ。
 普段は厳格な父が、その時だけは悪戯を企む少年のような顔で『さあ、息抜きの仕方を教えてやる』と手を差し伸べてくれる。
 外に出るのはもちろん、父と、まるでどこにでもいる一般家庭の父子のように過ごせるその時間が、セオにとって、温かくて優しい思い出でもあった。

 青年になってからも、セオは自分の身を守る術をしっかり身に付け、魔法で髪の色彩を変え、外出を繰り返していた。

 本当は瞳の色も変えたかったけれど、御印が宿っているからか、瞳だけはどうしても色彩の魔法が乗らない。
 まあ、瑠璃色の瞳自体は、似たような色彩を持つ人間はそれなりにいるので、そのままでもなんとかなるだろう。だから銀髪だけ、真逆の黒へと変え、街の外に出ていた。

(本来なら、二十歳で表舞台には出られるはずだったのだがな)


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