顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
いや、わかっている。おそらくは後者だ。
きっと冷遇されているのだろう。彼女は強烈なくらいに父親の愛情を欲していたから。
少し会話しただけでもわかる。打てば響くような頭の回転の早さ。
少し世間知らずなのは、きっと箱入りだからだろう。あの美しい手跡。所作も洗練されており、下町に溶け込んでいるようで溶け込みきれていない迂闊さも可愛かった。
間違いなく貴族の子だ。それもおそらく高位貴族。実子か妾腹の子かはわからないが、かなり複雑な身の上であったのだろう。相当厳しい教育を受けているはずだ。
それなのに気位の高いところはなく、下町の皆を心から慕っているのがわかった。
貴族の令嬢ではまず見られない、あの気安さ。下町の人間と心から笑い合っている高位貴族の令嬢が存在するだなんて、思いもしなかった。
安酒で乾杯して笑い合うのは楽しかった。机に突っ伏しくだを巻く男に、眉をひそめるどころか、くすくす微笑んで慰めてくれる彼女に、何度胸が高鳴ったか。
ああそうだ。
面白いくらい簡単に、彼女に恋に落ちた。
もっと見ていたい、もっと話したい、そして、触れたいと。そう感じた女性は初めてだった。
(あの夜のプロポーズだって嘘じゃない。俺は、自分の権力を駆使してでも、彼女と結婚したいと願った)
当時のセオは、誰が相手でも同じだと諦めている節もあった。だから悪女と名高いリーヴス侯爵令嬢との話が持ち上がっても、どうでもいいと関与しなかったのだ。
それが、イヴとの出会いで一転した。
リーヴス侯爵には悪いが、どんな手段を使ってでも、イヴを婚約者に据えるつもりだった。
なのに、どれだけ探しても、肝心のイヴが見あたらない。国王の権力を駆使してでも見つからないだなんて、一体どんな環境に身を置いていたのか。
「教会から彼女の足どりを追うのは難しいか。では、高位貴族はどうだ? 洗いざらい、調べてくれているのだろう?」
「もちろんです。ただ、私自身がイヴ嬢の顔を知りませんので、素性を隠して下町に出入りする令嬢がいないかという方向で当たっております」
「……フロゥ、調子が狂う。どうせここには俺たち三人しかいない。いつも通り話せ」
「っス」
セオに言われるまでもなく、フロゥは嬉々として肩の力を抜いた。
フロゥ自身も変装を得意としており、商人に扮するセオの部下を務めてくれることも多い。互いにお忍びの場に慣れているからこそ、気安い口調の方がよほど馴染むのだ。
堅物のレスターは眉間に皺を寄せているが、セオとしては問題ない。
「ま、そういうわけで、もう少し調査範囲は広げてみるつもりスけど――これだけ探して見つからないんです。もしかしたらもう、別の街に嫁いでいる可能性はあるっスね」
「……そうだな」
彼女は婚約を目前に控えていた。すでに結婚している可能性は大いにある。
「ここ九カ月のうちに結婚したご令嬢も、重点的に当たるつもりっスけど」
「ああ。頼む」
「……でも、それで見つかったら泥沼確定スね」
「言うな」
彼女がすでに別の男のものになっているなど、想像するだけで頭がどうにかなりそうだ。
はらわたが煮えくり返りそうで、セオはブンブンと首を横に振る。
――その、瞬間だった。
「!」
セオの中に湧き起こった感情を、なんと表現しよう。
言うなれば、天啓。『星』からの啓示。
祝福の光が心を染め上げるような、はじまりの一声にセオは立ち上がる。
ガタンと椅子が倒れたことすら気付かず、セオは両目を見開いた。