顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
第2章 小さな身体に大きな秘密を
(1)港町レイネ
潮風が、カーテンの裾を揺らした。
開け放った窓の向こうから、潮の香りが漂ってくる。荷馬車が石畳を転がる音、船乗りたちが交わす挨拶の声。それが商業都市レイネの朝だ。
心地のよい朝の風に、カティアはうーんと伸びをする。すると、後ろから跳ねるような明るい声が聞こえてきた。
「かあさま、おはよ」
振り返ると、小さな子供が上半身を起こしてベッドから身を乗り出していた。
瑠璃色の瞳はキラキラと輝き、朝から好奇心の色を灯している。なんとも元気いっぱいだ。
朝の光を受けて煌めくその色を見るたびに、いまだにカティアの胸は疼くけれど、それも少しだけ。すぐに、目の前の愛しい子の笑顔に胸がいっぱいになった。
カティアはすぐにその子供の側に寄り、キラキラお目々を覗き込んだ。
「おはよう、ラピス。ちゃんと起きられて偉いわね」
「おひさまがね、おきてっていったの」
まだ舌足らずな言葉で、窓の方を指さしている。朝の柔らかな光が、ラピスの銀色の髪をきらきらと透かしていた。
三歳の息子を抱き上げると、むにゅっと柔らかな頬がカティアの頬に触れた。小さな体は陽だまりみたいに温かくて、この腕の中にいる存在が愛おしくてたまらない。
ラピス。あの人の瞳と同じ色だったから、この名前を選んだ。
銀色の髪は、セオの黒髪とは違う。産まれてきたときは大層驚いたが、すぐに理解した。
カティアと同じで、セオも髪色を偽っていたのだろう。身分を隠していたようだから不思議はないが、もう答え合わせをする術はない。
「かあさま、おなかすいた」
「うん。すぐ用意するわね」
カティアが台所に立つと、ラピスはすぐ隣にやってきて、こちらの手元を興味深げに見つめる。大人の真似をしたがるお年頃で、隙あらばなにかお手伝いができないかと狙っているのだ。
だからカティアは、彼にテーブルにお皿を運ぶようお願いする。
白い漆喰の壁にオーク材のテーブル。窓辺には友人がくれた貝殻の小物入れと、植木鉢。それから、ラピスが拾ってきた珊瑚や石ころが並んでいる。小さな部屋にレイネでの思い出がぎゅっと詰まっていた。
ここは商業都市レイネに来てから世話になっている、友人ノーラが営む雑貨屋の二階だ。ここでカティアは、住み込みで働かせてもらっていた。