顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
「さてと。――ねえカティア、もうすぐ海商祭だろう?」
仕入れリストを無事に手元に戻したノーラが、パチンとその紙を指で弾いた。
海商祭は、毎年春の終わりに開催される、シュタルド王国三大祭りのひとつに数えられる一大イベントだ。
港には諸国の商船がずらりと並び、開幕を告げる警笛が街中に響き渡る。それを見に、各地から観光客が押し寄せるのだ。
大通りには色とりどりの屋台が軒を連ね、異国の香辛料や見たこともない細工物が所狭しと並ぶ。夜には港の上空に花火が打ち上がり、海面に映りこんでは光の花を描く。
ラピスはもう何日も前から指折り数えて楽しみにしていて、今朝も「あとなんにち?」と聞いてきたばかりだった。
「今年は結構大きくやるみたいだよ。カティアの守り袋、多めに作っといた方がいいかも」
「ふふ、手が回るかしら」
ありがたいことに、この街でも守り袋はよく売れている。
さすがに王都で売り出した物と全く同じにはせず、中に誕生石の代わりにポプリを忍ばせ、匂い袋風にしている。カティアの生み出す繊細な刺繍も合わさって若い女の子に人気のアイテムなのだ。
「昔はよく、陛下も顔を出してくれたけど――今年はどうかなあ」
「代替わりしちゃったからね」
ノーラが言う陛下とは、先代の王のことだ。
ずっと体調を崩し伏せっていた先王陛下は、カティアが王都を出て間もなく崩御した。
代わりに即位したのはあの引きこもり王太子――いや、もう国王か。顔も知らない引きこもりだと、随分な噂を立てられていたあの人だ。
でも蓋を開けてみれば、思慮深く臣下思いの良き王であるらしい。今は民の前に姿を現すことも多く、大層麗しい方であると話題になっている。
王都から遠く離れたレイネの街の商人ですらも、新国王が即位してから国の風通しがよくなったと、口を揃えて言っているくらいだ。
あの頃カティアが抱いていた「無気力な人ではないか」という印象は、どうやら見当違いだったらしい。
それに関しては、先入観で色々文句を言ってしまって申し訳なさしかない。
ただ、噂ではその若き王には、いまだに婚約者すらいないのだという。なんでも、初恋の女性を探しているとか。
(初恋の人、か)
カティアの醜聞のせいで婚約は白紙になり、結果として迷惑をかけてしまった。せめて、その初恋の人と結ばれてくれたらいい、というのは懺悔の気持ちからだ。
でも、四年近く探し続けて見つからないなら、難しいのかもしれない。
本当に人生はままならない。