顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

 なんだろう、この空虚な感覚は。
 もう一度イヴに会えたなら、すぐにわかる自信はあった。
 絶対心は跳ね、魂が歓喜すると思ったから。
 でも、この令嬢は――。

(……いや、おぼろげながらも、よく似ているとは思う)

 しかし、初めて会ったときの胸の高鳴りが蘇ってこない。
 それにイヴの反応。とてもではないが、彼女らしくない。もし、記憶の中のイヴと同一人物であれば、こんなに緊張した様子を見せないのではないだろうか。

「アビゲイル・ララ・グレンソンと申します。……陛下にお目にかかれて、光栄でございます」

 なるほど。やはり、イヴという名前は偽名だったのかと理解するも、疑念は晴れない。

「この娘は元々商家の出でして」

 グレンソン公爵が滑らかに口を添える。

(商家……?)

 どこの商家だろう。貴族でなければ、相当な富裕層だと睨み、その線でもかなり探していた。それでも、見つけられなかったというのに。

「家庭内で虐げられておりましてな。居場所がなく、外で息抜きをしておったそうです。かつて、身分を隠すために『イヴ』と名乗っていたとか」

 訝しがるセオに向かって、今度はアビゲイルが一歩前へ出る。
 そうして、流麗なカーテシーとともに、にこりと柔らかく微笑んだ。

「あの日は、陛下の正体を知らなかったとはいえ『一杯奢る』など出すぎた真似をして、申し訳ございませんでした」
「……それは」

 ずくん、と胸が大きく跳ねた。
 だって。どうして知っている。
 あの日、イヴと交わしたふたりの会話を。

「あの日、陛下は私の悩みを聞いてくださいましたね。当時の実父には結局振り向いてもらえませんでしたが」

 憂いを帯びた表情で目を伏せるアビゲイルに、あの夜のイヴが重なる。
 いや、でも、こんな声だっただろうか。
 話し方は確かに彼女に似ているかもしれない。会話の内容も、もちろんだ。

(だったら、字は。字はどうだ)

 そう思い、声を掛けようとしたところ、グレンソン公爵に先を越される。

「陛下がお疑いになるのは、ごもっともでございます。しかし、私めがこの娘を保護したのには、重大な理由があります。どうしても、陛下にお目にかかっていただきたい者がいるのです」
「まさか」

 公爵が手を打つと、侍女に手を引かれた小さな男の子が部屋に入ってきた。
 三歳ほどだろうか。怯えたように侍女の足にしがみつき、おずおずとこちらを見上げる。
 目が合った瞬間、セオの呼吸が止まった。
 銀色の髪。そして、瑠璃色の瞳。――自分と全く同じ色彩の男の子だ。

「孫のロニーでございます」
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