顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして
第3章 本当に、あなただったとして
(1)海商祭を前に
海商祭の季節がやってきた。
窓の向こうからいつにない活気が伝わってきて、カティアはそっと窓辺に身を寄せた。
春も盛りを過ぎ、初夏の足音が近づくこの時期、祭りの準備に奔走する人も多い。
海商祭は十日もの間、開催される。
初日のオープニングセレモニーが特に有名で、その日に合わせて来る客も多い。
すでに観光客の姿が目に見えて増えていた。聞き慣れない言葉が飛び交い、珍しい衣装に身を包んだ旅人たちが物珍しげに街を見上げている。
花屋の店先には鮮やかなブーケが溢れ、飲食店の者たちはこぞって祭り限定メニューの考案に明け暮れている。
ノーラの雑貨屋も例に違わず、祭りの準備も大詰めを迎えていた。
「カティア、あんたの守り袋、追加分もう仕上がった?」
「ええ、海商祭限定の模様にしてみたの、どうかしら?」
「いいね。――でもこれ、初日で売り切れそう」
「数を用意するのは難しいもの。でも、代わりにこっちも見てくれる?」
カティアがカウンターの上に広げたのは、何枚かの絵はがきの見本だった。
今年の海商祭では、雑貨屋の片隅に小さな代筆コーナーを設ける予定だ。
観光客や地元の人たちに絵はがきを用意した。希望によっては、その場でカティアがメッセージを添えることもできる、代筆業の腕の見せ所だ。
「販売用に、色んなカラーインクも発注したじゃない? 色見本もかねて、その場で実演販売するとか」
「それ、いいね! 他の店じゃ真似できないよ」
ノーラがポンッと手を打って喜んでくれて、カティアも跳び上がる。
「あんなカラーインク、取り扱ってる工房があるなんて、よく知ってたね」
「あ、はは……」
ペン用のインクと言えば基本黒で、他の色のものはさほど流通していない。けれども、元侯爵令嬢であるカティアには馴染みのあるものだった。
安いものではないが、新しいもの好きな商業都市レイネの人々には絶対に好まれるだろうと、仕入れを強く勧めていたのだ。
「旅先から手紙を送るって素敵でしょう? 自分の字に自信がない人でも、こうしたら気軽に気持ちを届けられるじゃない? 商業都市レイネらしい真新しさもあるし」
「いいね。絶対人気出るよ」
ノーラの太鼓判に、つい頬が緩む。
かき入れ時になるであろう祭りの期間、少しでもノーラの店の力になれたらいい。そんな気持ちと純粋な楽しみが、胸の中で混ざり合う。
「かあさま! おふね! おふねいっぱいなんでしょ!?」
待ちきれなくて船の模型で遊んでいたラピスが、ぴょんと跳ねた。
「ぼくね! おふねがずらっとならんだら、かずをかぞえるんだ!」
「いいわね! すごくたくさんよ? 上手に数えられるかしら?」
「だいじょうぶだよ! いーち! にーい!」
小さな指を広げて一生懸命数えようとしているのが微笑ましい。途中で指が足りなくなって、むむっと眉を寄せるのもお決まりだ。
ラピスはそのまま窓辺に張りつき、足をばたつかせる。この店から海は見えないが、彼の想像上の景色ではきっと港に船が並んでいるのだろう。