顔も知らない婚約者様の御子を一夜で授かりまして

(会場に行けば、遠目にでもお顔が見られる)

 心臓がどくんと跳ねた。

 人が多い。これだけの雑踏に紛れてしまえば、こちらが見つかることなどまずないだろう。遠くから一目見るだけ。それだけでいい。
 それだけで、四年間のもやもやに決着がつくかもしれない。

 ラピスとともに、人の流れに乗って海の方へ足を向けた。近づくにつれ、人が増えていく。声が。歓声が。警備の兵の姿も見える。
 公園の入口に入ったところで、足が竦みそうになるも、ラピスがぐいぐいと手を引っ張っていく。

「かあさま! あっち見たい!」

 跳ねるような声とともに、真っ直ぐ南を目指すと、パッと視界が広がった。
 海の開けた場所に辿り着き、ずらりと並んだ大型船にラピスが大きくはしゃいでいる。

「おおきい! ねえ! ぼーっていうの!? ぼーって!」
「そうよ。この後、この船が全部一緒にぼーって鳴るのよ」
「きゃーっ!」

 ぴょんぴょんと子ウサギのように跳ねる姿が愛らしい。ラピスの無邪気さに、連れてきてあげられてよかったと、気持ちが浮上する。

 そうだ。セオのことよりも、今は目の前のラピスと楽しむ時間だ。はしゃぐラピスを抱き上げ、ふたり一緒に遠くの海を見る。

「おい! そろそろ国王陛下のご挨拶がはじまるって!」
「中央広場の方だって。行こうぜ!」

 皆が声を掛け合って、大きな公園の中心部へ向かっていく。
 あの人の流れに乗ったら、国王のご尊顔が拝見できる。でも――と心が重くなったところで、ラピスが「あ!」と声を上げた。

「ねえ、かあさま! みて!」

 ラピスの指さす先では、大道芸人が路上で火を吹いている。
 さらに色とりどりの衣装に身を包んだ芸人たちが、ジャグリングを披露し、次から次へと技を繰り出していた。

「すごいよ! ひが、ぶわーって!」

 ラピスの瞳がまんまるに見開かれ、すっかり釘付けになっている。興奮のままにカティアの手を引っ張り、中央広場とは逆方向に向かおうとしている。

「みにいく! かあさま、あれみにいきたい!」
「ええ、もちろん。行きましょう」

 ほっと息をつきながら、カティアはラピスに手を引かれるまま、大道芸の輪に加わった。

(――よかった)




 結局、国王の顔は見なかった。見なくてよかったのだ、きっと。

 火を吹く芸人に歓声を上げるラピスの横顔を見つめながら、カティアは自分にそう言い聞かせた。
 たっぷりと大道芸を楽しんだころには、このオープニングセレモニーのフィナーレだ。

 港に停泊した船たちが一斉に汽笛を鳴らした。
 ボオォォォ――と腹の底まで響く重低音に続いて、昼間の花火が空に咲く。
 色とりどりの煙が青空に尾を引いては、華やかなラッパのファンファーレが大空に抜けていった。
 ラピスが「わあ」と小さく口を開けて空を見上げている。その横顔を見ているだけで、来てよかったと思えた。


< 47 / 126 >

この作品をシェア

pagetop